yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

TOEFL テストが変っていた!

新学期から始まる「留学支援」コースでTOEFLの問題集を教材にするつもりである。それで、TOEFLの問題集を入手しようとアマゾンのサイトに入ってびっくりした。中の一部をみることができるサービスを使って、入ってみたところ、以前のテストと180度転換しているのが分った。私が受験した1996年はこういうのではなく、どちらかというと現在のTOEICに近いテストだった。もちろん内容はもっと難しくはあったが。

でも、この変り様は好ましいものだ。というのも以前のだとTOEICとの差別化ができないから。内容はアメリカの大学での授業について行けるかどうかをテストするものになっていた。以前のような文法テストがなくなり、レクチャーを聞いて、どれほど理解したかをェックする問題とか、エッセイを書く問題とか、スピーキングのレベルをみる問題とか、以前のテストにはなかった「新顔」が主体になっている。以前のテストだと、本当の意味で英語力がなくても、ドリルによってかなり点数を上げることが可能だった。もちろん新しいものも練習で点を上げることは可能かもしれないが、もともとの実力がなければそれができないようになっている。つまり向こうの大学で即戦力になるだけのある程度の英語力があった上で、これらの問題集のようなドリルで得点を上げることが可能になる。

オンラインの教材も入手したが、それは即ダウンロードできるので一部聴いてみた。そして思わず膝を打った。留学できるかどうかを試すテストはこうでなくっちゃ。これだと、かなりの確率で、授業について行けるかどうかを判断できるだろう。以前のものより、はるかに精度が上がっている。

私のいたペンシルバニア大学では、新TA特訓のため2ヶ月間午前中ぶっ通しの夏期講座をもうけていた。というのも、理系の大学院に入ってきてTAに就く中国人留学生の英語のコミュニケーションの「実力」が惨憺たるものだったから。彼らはTOEFLで高い基準をクリアして入学しているにもかかわらず、それが実情だった。彼らがTAに入ったクラスの学生から非難囂々で、仕方なく大学が院生一人当たり一ヶ月1200ドルの「手当」を出し、その特訓コースを受けさせていた。次の新学期にTAに就く者は全員この夏期講座をとらなければならなかった。もちろん次の学期からTAをすることになっていた私も受けた。英語の訓練コース(いわゆるTESL)を日本でもアメリカでも受けたことがなかったので、この講座はとても勉強になった。英語がすでにかなりできる人たち(私の放り込まれたクラスは5クラス中一番上だった)の英語のスキルをどうアップさせるのか、その具体案に満ちていた。教える講師、合わせて3人の講師たちの全員が英語教育の博士号をもっていた。それぞれが違ったアプローチを駆使し、そのどれもがユニークだった。それらは当時の私にはとても新鮮で、さっそく次の学期、日本語の上級クラスで使わせてもらった。残念ながら今の私の学生たちには援用できないけど。

このコースの修了時にTOEFLのスピーキングテスト(オフィシャルなもの)を受けさせられた。私は残念ながら点が足りず(動詞時制を数回間違ったらしい)、「アウト」と覚悟したら、20分間のスピーチを別に設定してくれて、それをクリアすることで一応パスとなった。新しいTOEFLでは「スピーキングテスト」があらかじめ組み込まれている。私が受験した当時はそれは受けなくても良かったのである。

でも大学にとっては講師料を払わなければならず、おまけに学生に手当まで出していたので、大変な出費だっただろう。私など、アメリカ人のTAから散々うらやましがられた。1ヶ月1200ドルの手当というのは、たしかに破格だった。TOEFLが新しいものになったおかげで、アメリカの大学のそういう出費がかなり省けることになっているのかもしれない。

それにしても、この新しいTOEFLテスト、勤務先の英語関連授業の担当者たちに受けさせたい。多くの大学で「TOEICコース」なる授業が横行しているけど、それを「TOEFLコース」に替えるだけで、留学するだけの英語力があるかどうか、一発で分る。TOEIC なんてのは自分で問題集をやるだけで十分攻略できるから、授業に組み込む意味がない。一方、TOEFLの方はコースにするだけの値打ちがあるだろう。でもそこで問題になるのは、それをまともに教えれる教師がほとんどいないことである。留学もしたことがなく、そもそも日本からほとんど出たことのない輩には絶対無理だから。学生の前で恥をかくのは目に見えている。

新学期の私のクラスで新しいTOEFL問題集を使いたいのだが、それはたぶんうまく行かない。一応やってはみるが。そもそもレクチャーの内容が彼らには理解できない。すでに「TED TALKS」を使った去年、大失敗している。おそらく日本のほとんどの大学でも似たような状況だろう。これじゃ、日本人学生の英語の力は永遠に伸びないままである。「グローバル教育」を唱えている文科省のお題目がチャンチャラ可笑しく思える。