yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

林宗一郎師の仕舞「井筒」in 「第五回林定期能」@京都観世会館9月17日

この仕舞、元々は宗一郎さんのお父上、林喜右衛門さんが舞われることになっていたものだけど、喜右衛門さんは先月15日に亡くなられた。そういえば、先々月だったかの観世会館での公演でも宗一郎さんがお父上の代役をされておられた。林喜右衛門さんの仕舞、舞囃子はそれ以前に二度ばかり見ているけれど、能では拝見していない。もっと早くから能を見ていれば、きっと舞台も見れていたはず。残念です。仕舞では正統派の折り目正しい舞を舞われるという印象だった。そのときからお身体の具合はかなり悪かったのでは。ご冥福をお祈りいたします。

宗一郎さんの今日の「井筒」、緊張感がビンビンと伝わってきた!気の入り方が半端なかった。舞われたのは後場のクライマックスシーン。業平の衣をまとったシテが序の舞を舞い、その後、井筒の水鏡に自らの姿を映すところ。業平への未練、業平への恋慕の情、そして恨み。それらの屈折した思いが舞い手の所作に滲み出ている。でも私には、それがお父上への「なぜ?」という問いにも見えた。宗一郎さんはまだ三十代半ば、まだまだお父上に習いたいことは山ほどあったはず。それなのに先立ってしまわれた。その悔しさが業平の衣をまとった女の感情にアイデンティファイしているような、そんな錯覚を持ってしまった。

今年1月に「宗一郎能遊び」という意欲的なイベントに参加させていただいた。五流派の若手を一人一人呼び、話を聞くという企画。学ぶことが多かった。しばらく参加していないのだけど、次回は是非と考えている。まだ継続されているのかしらん?是非続けて欲しい。お茶のお点前に美味しい和菓子も供されるほっこりした会だった。