yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

片山九郎右衛門師の舞囃子「船弁慶」in「七曜会(前川光長・光範師社中会)」@京都観世会館8月1日

「七曜会」ほど見応えのある社中会は他にないと思う。お囃子の太鼓方、前川光長師とご子息の光範師のお弟子さんたちの社中会、つまりお二人の師のお弟子さんたちの発表会。それがみなさん非常にお上手。レベルがとても高い。そして(ここが肝心なところなのだけれど)太鼓以外のお囃子(笛、小鼓、大鼓)の担当が第一級のプロの方々。加えて囃子に合わせて舞われるシテ方が京都観世生え抜きの(つまりトップクラスの)方々。初めてお邪魔した3年前?にはこのプログラムそのものが信じられなかった。「これ、ホントに観劇料は無料?」と。無料なんですよ。この宝の山が(下品で失礼!)。

今年は今まで以上に素晴らしいものだった。腰トラブルが完治したわけではないので、大事をとって午後2時からの参加となってしまった。それでも終演が5時過ぎで3時間以上は座席に座っていたので、結構きつかった。来年は午前から見られるように、腰のコンディションを整えるつもりである。

どれもが素晴らしかった。とりわけ杉浦豊彦師の舞囃子「乱」は本来は躍動的なこの木曲が舞い手によってこれほど躍動でありながらしっとりとしたものになるのだと感銘を受けた。

きわめつけは終盤の九郎右衛門師の舞囃子「船弁慶」だった。こちらも躍動的な曲なのだけれど、薙刀を振り回す激しい動きの中に癒しというか祈りとでもいうような「緩」が感じられ、どこか宇宙的なものを感じた。橋がかりの橋の上の足を乗せて歌舞伎で言えば見得に当たるところなど、ワクワク感満載ではあるのだけれど、その前につんのめってゆくベクトルをどこかで制御する弁慶のあり方を感じてしまった。ちょうど今謡のお稽古で「橋弁慶」をやっているのだけれど、弁慶と牛若のやりとりに共通したドラマ性というかドラマティックなものを強く感じた。とにかく楽しかった。

この舞囃子演者さんたちの一覧が以下である。

笛    杉 市和

小鼓   吉阪一郎

大鼓   谷口正壽

太鼓   谷下京子