yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

豪人ジャーナリストのベン・ヒルズ氏が暴いて見せた宮内庁の横暴と雅子妃の悲劇 Ben Hills, Princess Masako Prisoner of Chrysanthemum Throne (NewYork: Jeremy P. Tarcher/ Penguin, 2006)

オーストラリア人ジャーナリスト、ベン・ヒルズ著のこの本はもう何ヶ月も前にこのブログで言及、その直後に原書はアメリカのアマゾンから取り寄せていた。もっと早くにレビューを書くつもりでいたのだけれど、雅子皇后陛下がいかに美智子前と一味(その代理である宮内庁)理不尽ないじめの犠牲になって来られたかを、なぞるということに、それも海外のジャーナリストの文章で復習することは気が進まなかった。知れば知るほどの卑劣、人非人的いじめの数々。私自身体調も崩してしまったほど、堪えた。

図書館から「翻訳」とされる友納尚子著、『ザ・プリンセス雅子妃物語』(文藝春秋、2015)を借り出したのだけれど、その返却期限が迫ってきたので、スキムすることに。二冊を比較して、どの箇所に宮内庁が最も神経を尖らせたのかを確認しようと考えていたので。

この著書、副題はThe Tragic True Story of Japan’s Crown Princessとなっている。全体として西洋的な視点で日本の天皇制の本質と構造を分析・批判。その最も分かりやすい例として雅子妃を取り上げている。「西洋の最高教育を受け自立した女性である雅子さま」対「旧態依然とした宮内庁と天皇制」という構図の上に書かれているので、西欧の読者には極めて分かりやすい。

一言お断りしておかなければならないのは、こういう構図に抵抗を覚える日本人は多いだろうけれど、アメリカの大学・大学院で日本史、日本現代社会のコースを履修したことのある人ならおなじみのもの。伝記であってもこのように仮説を立てて、それをレトリカルに証明するというのが書物、論文を書く上での正当な論の展開方法だから。

全10章の構成。全編を通して上の対立がテーマになっていて、その対立が弁証法にアウフヘーベンできるかどうかが検証されている。ここで筆者のベン・ヒルズ氏が建てた仮説は「NO 、対立を止揚するのは不可能」ということになる。検証の結果、出された結論ももちろん「NO」である。それは最終章、「No Happy Ending」でも明らか。永遠に埋められない溝、止揚不能がこの対立軸にはあるということになる。西洋的視点で見れば、非常に納得できる結論といえるだろう。また戦後教育を受けた日本の現代人にとっても受け入れやすい結論である。

検証というかフィールドワークの部分は、外国人という限界はあるものの逆にそれを利用して可能になったものもあるようで、そのガッツに感心する。また日本の歴史、その中の皇室史をヤマト政権時代に遡って研究されているのにも感心する。思想的に中立でありつつ、かなり突っ込んだ言及がなされていて、「思想」というかイデオロギーに縛られがちな日本人学者より、よりフェアな感じがする。私自身がアメリカの大学院で読まされた英米人研究者の日本史研究書と同じ匂いがした。(アナール学派系を含む)日本人学者の書いた日本史を、(私の先生も含めて)英米研究者が高く評価していないことに、驚いた記憶がある。でももっともだとも思った。レトリカルな展開に日本人は弱いことを経験していたから。

宮内庁が出版差し止めをしようとした理由の最も大きなもの、それは上の対立軸から導き出される結論が「対立を埋めるのは不可能」というものだったからだろう。もちろんその原因の大半は宮内庁の旧態依然体制にあると結論付けられているからでもある。西洋的価値観、世界観とは、さらに言えば現代日本人の価値観からもおよそ対極にある宮内庁という組織。「男子を産め」というプレッシャーをかけ続け、尊厳のある女性が子供を産む機械であるかのように扱った。これはおぞましい「人格否定」である。雅子さまを「prison」に押し込めた囚われの身とし、ついには精神的に病むところまで追い詰めた。その責任は宮内庁、それが代表する当時の「皇室」制度そのものにある。

雅子さまご結婚後から始まる第6章から最終章の第10章までの中に、おそらく出版差し止め理由の大半がある。そのいくつかを以下にあげる。

  • (1) 圧力をかけた宮内庁長官名−−湯浅利夫、羽毛田信吾−−が明確に記載されている。とりわけ湯浅は「懐妊するまでは海外には行くな」と公に言い放っている。
  • (2) 雅子妃は毎月天皇(明仁)に御所に呼ばれ、「月のものはあったか」と聞かれるという屈辱に耐えなくてはならなかった(これはジャーナリストのレズリー・ダウワー氏が暴露したもの。彼女の知り合いが侍従から聞き出したエピソード)。これは友納氏の訳書にはなかった。
  • (3) 当時の天皇皇后(明仁、美智子)が「気遣い」という形で雅子さまに圧力をかけていた。
  • (4) 世話係の女官たちから漏れ出る悪意ある噂話に悩んでおられた雅子さま。その女官たちを首にできない雅子さまの苦悩が病を引き起こした一因かもしれない。
  • (5) 河原敏明の雅子さまへの謂れなき非難と中傷。非常に酷いもので、ヒルズ氏が英語に訳されているので、これは海外に広く知れ渡っているはず。

湯浅長官は上の1の他にも当時の皇太子号夫妻の記者会見にもクレームをつけ、さらには秋篠宮夫婦に第三子を産む提案をした悪名高い男であるけれど、それは「翻訳」版の友納尚子著『ザ・プリンセス雅子妃物語』にも詳しく記載されている。

『ザ・プリンセス雅子妃物語』はヒルズ氏著作の翻訳というより再構築したものである。日本人ジャーナリストの眼で改めて伝記にした著作。

ここからは10章に渡る各章内容を次稿、次々稿に渡って検証したい。