懐古趣味はないのだけれど、「一体最初に見た能はなんだっか?」と考え込んでしまった。大学で六人だけの一軒家を使った寮に一年だけいたのだけれど、一年先輩が能学クラブに入っていた。仕舞やら謡の練習を毎晩していた。京都観世会館(?)での発表会に連れてゆかれたこともあったような。とはいうものの、全然覚えていない。おそらくそこで見た仕舞が、能へのイニシエーションだった。
そういえば、中・高の六年間、日本の古典芸能を採り入れた授業は皆無だったし、能楽鑑賞なんていう課外活動もなかった。ミッションスクールだったからというより、日本の教育自体の問題だと思う。今も大して変わっていないから、能楽人口が増えないのだろう。底辺が広く、厚くならないとダメなんですね。
西欧文化へのアタッチメントの度合いが日本文化の教化よりずっと強く、推進されているのが、小・中・高に一貫して見られる日本の教育の現状だろう。今振り返ると、とても残念である。やはり文化 [文学・芸能] は見て、触れて、なんぼのものであり、実際に遭遇しない限り、永遠に知らないままで終わる。
英語の非常勤講師で大学をいくつかかけ持ちしていた頃、大先輩夫妻にお茶に誘われた。その折、歌舞伎通・能通の奥様から「最近なんやみはった?」と聞かれ、「能の『よろぼうし』を見ました」と答えたら、「ああ、『よろぼし』ね」と訂正された。歌舞伎とも縁のある能だったと、あとで知った。恥ずかしい。
それから幾星霜。アメリカでの大学院生活を終えて再就職した大学の学園祭で、薪能公演を見た。小沼先生という方が能を長年やっておられて、その縁での公演だった。気になりネットで調べたら、何とありました!「第9回 平成14年(2002年)10月21日」で、内容は以下だった。
演 目
出 演
能
小 督(こごう)
小沼 喬(本学名誉教授) ほか
狂 言
寝音曲(ねおんぎょく)
茂山 千作(人間国宝) ほか
仕 舞
野 宮(ののみや)
井上 嘉介 ほか
能(半能)
融(とおる)
大江 将董(観世流シテ方) ほか
解説をしたのが、先日能楽学会で「金春家文書」について報告された、まだ法政大に移る前の宮本圭造氏だった。1993年から毎年学園祭では薪能を開催していて、何と16回を数えている。「演能中は研究室の灯りを消すように」と言われ、不満だったことを思い出した。まさに「豚に真珠」だったのですね。演者一覧で大江家の全面的バックアップを受けての公演だったのがわかる。
私が見たのは2002年と2008年のみで、毎年見ておけばよかったと悔やまれる。鬼籍に入られた能楽師の方々のお名前を確認すると、その悔いの思いは募る。平成21年(2009年)には片山九郎右衛門師(当時片山清司師)も仕舞「頼政」を舞っておられる。その時の公演サイトが以下。写真も何枚か掲載されている。
地域の方々も多く来場し、教職員も多数見学していたのに、大学は薪能の公演はやめてしまったようで、残念である。私がいうのは「おまいう」ですが。