yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

難役を難なくこなした梅枝に見惚れた「積恋雪関扉 (つもるこいゆきのせきのと)」in 「国立劇場三月歌舞伎公演」@国立劇場 3月9日

 

決まりに決まった初役の菊之助と梅枝

『元禄忠臣蔵』とペアになった狂言。こちらはグッと古典度が高い。今まで名だたる歌舞伎役者が大伴黒主、小野小町を演じてきているので、若手が手をつけるのはかなりの勇気が要るだろう。それをあえて中堅の菊之助が黒主を、二十代の梅枝が小町を演じるという挑戦、というか冒険だった。しかも、それが実った舞台だった。おそらく大方の予想を覆すものだったのでは。菊之助がそつなく黒主をこなすのは予想できたけれど、梅枝がここまでみごとに小町になりきるとは予想していなかった。嬉しい驚き。これも今までに見た小町の中でトップクラス。ベテランのそれに劣らない。あの幕切れの完成度の高さには、誰も文句をつけられないはず。

 今月の小劇場での歌舞伎、ほとんどの役者が初役への挑戦。その挑戦が、因習でがんじがらめに縛られた歌舞伎の硬い岩盤に風穴を開けたような気がする。それを後押ししているのが、国立劇場の文芸部。素敵な企画が連発されることが嬉しい。それがイコール若手の奨励を兼ねているのがいい。ワクワクしながら見ることのできる歌舞伎。それがどんなものかを必死で考え、企画し、舞台にするという流れを現実の形にする。今のところ、国立劇場公演で失望したのはゼロだった。そこにも文芸部の気概、役者のやる気を強く感じる。

関兵衛役・黒主二役の菊之助の写真と公式サイトからの公演情報

 「国立劇場サイト」で、関守関兵衛役の菊之助、大伴黒主 に変身してからの菊之助の写真が提供されているので、お借りする。さらなる公演情報もアップしておく。

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宝田寿来=作   常磐津連中
 国立劇場美術係=美術

 

<配役>
関守関兵衛実ハ大伴黒主                 尾上菊之助
良峯少将宗貞                             中村萬太郎
小野小町姫/傾城墨染実ハ小町桜の精   中村梅枝

 

<あらすじ・見どころ>

~逢坂の関を守る怪しい男・関兵衛の正体は……!?~

舞台は雪中に小町桜が咲く逢坂の関(おうさかのせき)(山城国と近江国の国境)。大伴黒主(おおとものくろぬし)は仁明(にんみょう)天皇の崩御に乗じ、謀反を企てていました。その陰謀を暴こうとした良峯少将宗貞(よしみねのしょうしょうむねさだ)は左遷され、関の近くで侘しく暮らしています。そこへ、宗貞と恋仲の小野小町姫(おののこまちひめ)が訪れ、関守の関兵衛(せきべえ)は二人の馴れ初めを聞き出しますが……小町姫は関兵衛の素性を怪しみます。

関兵衛は、小町桜を伐って護摩木(ごまぎ)にして祈れば、天下掌握の大願が叶うと悟り、桜を伐ろうとします。すると、宗貞の弟・安貞(やすさだ)の恋人であった傾城墨染(けいせいすみぞめ)が関兵衛に近付きます。墨染は実は小町桜の精で、安貞を殺害した黒主に復讐するために現れ、関兵衛に本名を明かすよう迫ります。ついに関兵衛は、謀反人の黒主であると名乗り、黒主と小町桜の精は対峙します。

関兵衛と小町姫の問答、宗貞を交えた三人の大らかな手踊り、盃に映る星の影を見た関兵衛が謀反の時節を知る件、黒主と墨染との激しい争いなど、全篇がみどころに溢れています。衣裳を一瞬にして変化させるぶっ返りや、海老反りになった小町桜の精に巨大な鉞(まさかり)を振りかざす黒主の迫力溢れる姿も必見です。さらに、大曲とされる常磐津節(ときわづぶし)も聴き逃せません。

尾上菊之助の関兵衛実ハ黒主、中村梅枝の小町姫・墨染実ハ小町桜の精、中村萬太郎の宗貞と、初役揃いの顔触れでお楽しみください。

異様な者たちの集う逢坂の関

「逢坂の関」とは上にあるように、山城国と近江国の国境となっていた関所。清少納言や蝉丸の歌でも有名であるけれど、その名称「逢坂」からある種の結界を表していたように想像される。

そんな場所にやってきた者たちが尋常でないのは当たり前。はじめは滑稽さ、ひょうきんさを標榜していた関守関兵衛が、やがては謀反人の大伴黒主に変身(変貌)して行く様をみせるというのも主題の一つだろう。それをなんとか阻もうとする小町。でも大伴黒主のどす黒い闇の力に比べると非力は否めない。二人の対決は結局ははっきりした終焉を迎えない。二人が舞台に向かってそれぞれの「売り」を最大限披露してみせる終幕は、麗しくはあるものの見る側の疑問に応えてはくれない。どう決着したのかは、よくわからないまま終わる。おそらく「決着すること」は意味がないのだろう。ただ、二人の対決を一つのタブローとして客に見せること。それが眼目だったのかも。

常磐津節の力演

もう一つ唸ったのが常磐津節。演者一人一人の想いを、節に乗せて華麗に歌い込む。役柄に合わせて声調も変えての力演だった。今までにこういうのを見たことがないので、ただ驚いた。文楽(人形浄瑠璃)での複数太夫・」三味線による合奏が連想された。掛け合いがドラマになっているんですよね。その点では普通の歌舞伎とは違っている。人形浄瑠璃に近いかも。感心したのは、常磐津の演者は常にこういう「目立つ」ことにも、臨戦態勢で臨んでおられること。新鮮な発見だった。今後は意識して常磐津を聴きこもうと思った。