yoshiepen’s journal

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お洒落な「見立て」の織物——幸四郎の「傀儡師(かいらいし)」in 「三月大歌舞伎」@歌舞伎座 3月8日昼の部

 

「歌舞伎美人」からの解説

幸四郎のソロ舞踊。「歌舞伎美人」からの解説が以下。

 洒落た味わいの風俗舞踊

 傀儡師が、お七吉三の恋模様や牛若丸と浄瑠璃姫の恋物語、船弁慶などの人形芝居を、自らを人形に見立て次から次へと踊り分けます。
 大道芸の人形遣い、傀儡師を題材とした風俗舞踊で、それぞれの登場人物を表現する演者の技量が求められます。洒落た味わいのひと幕をお楽しみください。

人形遣いが人形の振りで踊る「傀儡師」

大道芸人になりきった幸四郎がさまざまに趣向を凝らした踊りをみせる。「傀儡師」の舞踊にはいくつか流派があるようで、幸四郎は坂東流の舞踊を採ったと言っている(「筋書き」57頁)。傀儡師とは人形を扱って芸をする芸人のこと。この舞踊では人形の振りも傀儡師自らが踊り込む。

「傀儡師」とは?

『コトバンク』による舞踊「傀儡師」は以下。

「傀儡師」とは、「街頭の人形遣い (傀儡師) に取材した風俗舞踊で,外記節『傀儡師』から三人息子の物語、お七吉三の恋路をじゃまする弁長ちょぼくれ、牛若と浄瑠璃姫の恋物語、船弁慶など多彩な題材を、人形遣い (踊り手) がみずからを人形に見立て,変化のついた振りでみせる。幕切れに唐子を出す演出もある。

まるで連想ゲーム

当時の大道芸人はいっぱしの教養人だったんですね。連想ゲームのように次々と連鎖するさまざまなテーマに則った踊りの断片。繋がっているような、繋がっていないような。それぞれが独立しているようでいて、やはり大道芸という括りに収まっている。断片それぞれが洒脱で、同時にこういう趣向も洒脱。見る者を飽きさせない工夫が随所に見られる。パッと見では不明なところが多かったので、「筋書き」の助けを借りつつ説明してみたい。かなり大雑把で核心をついていない恐れはあるのですが。

連想の流れ:恋の淵→四海浪→八百屋お七→牛若→船弁慶→平知盛

まず、百人一首でも知られる陽成院御製のうた、「恋ぞつもりて 淵となりぬる」(『後撰集』)の歌の引用から始まる。これは、男女の恋を筑波山から流れ落ちる「みなのがわ(男女川)」が下流の桜川に注ぎ込み、それがさらに大きな流れになる様をうたったもの。

やがて、その男女の恋は「祝言も 四海浪風穏やかに」と実っている。「四海浪」はまさに結婚式で「高砂」と共に吟じられる謡曲である。

そこから三人息子の三番目の吉三郎の話に移るのだけれど、彼はまさに八百屋お七の相手。傀儡師は、当の二人の恋の仲立ちをする弁長の様子を踊ってみせる。

ここからは雰囲気が打って変わり、軽妙になる。牛若丸と浄瑠璃姫の恋模様を描く清元とそれに合わせた踊りになる。「既に源氏の御大将 御曹司にて増します頃 長者が姫と語らいも 小男鹿ならで笛に寄る云々」と、牛若と姫との恋愛をからかい半分で描いている。

そこからはぐっとアップテンポ。傀儡師は薙刀に見立てた綾竹を振り回しながら、源平合戦の模様を踊る。さらには、壇ノ浦で入水した平知盛を題材にした「船弁慶」の一節を踊る。清元が語る以下の節に合わせての舞踊である。 

仇と数度の戦いに 

勝鬨を挙げくに大物(だいもつ)の

うらみつらみも波の上

抑々これは桓武天皇九代の後胤

平知盛幽霊なり

幸四郎が三年前に歌舞伎座で演じた『義経千本桜』中の「碇知盛」の素晴らしい舞台を思い出してしまった。彼自身もきっと意識していただろう。

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テーマ構成の妙

恋の歌が男女の悲恋になり、その緊張が軽妙な牛若丸の恋模様を語る軽妙な調子で緩む。さらにアップテンポになって、「船弁解」の乗りになって舞踊が終わる。実に多彩、多芸で、大道芸人である傀儡師にここまでの芸をさせるというのが、実に江戸前。軽いのにしっかりと核がある。外れない。あっぱれだと感心して見ていた。

なお、youtube に日本舞踊の「傀儡師」が何本かアップされている。幸四郎のものとはちょっとずれているけれど、どういう舞踊なのか参考になる。