めっぽう面白かった。お化けの総覧。今まで観たことがない。こんな奇妙奇天烈な歌舞伎舞踊があったんですね。三世河竹新七作。初演は明治33年、五世尾上梅幸が主役を張ったらしい。タイトルに「闇梅」とあるのは、彼の名を採ったもの。
わざわざこの演目を持ってきたのは、「浅草七人衆」にそれだけの自信と自負があったからだろう。たしかにそれを裏付けるだけの舞踊だった。そりゃ、玉三郎と比べればまだまだ未熟かもしれないけど、でも20代の役者にしてはきわめて上出来というか、とても良かった。感動した。昼の部もそうだったのだが、「江戸役者」が京都に討ち入るという感のある今回の演目一覧。江戸役者ならではの演目を選んだのかもしれない。今回夜の部の二本立ての演目の最初のものも音羽屋の持ち狂言の「白波」もの。この『闇梅』も江戸のもの。
というわけで、洒脱な江戸歌舞伎の世界が展開する。ホントにオシャレ。「この阿吽の呼吸が京都人に通じるのか知らん」と、ちょっと不安になったりして。最近は江戸だの上方だのの区別がなくなってきているとはいえ、やっぱり気質の違いは歴然としている。「洒落のめす」という感覚は関西にはないように思う。江戸芸能につきものの「諧謔の精神」より、上方では「笑い」が軸になって芝居が回る。「どんだけ笑わしてくれた」が物差しになる。で、この『闇梅』も関西人にはピンとこないところがあった。おそらくそれは、七人衆がまだ観客を攻略するだけの「余裕」がないからだろう。当然といえば当然なんだけど。次回からはぜひ考慮してください。
で、私の偏愛的『闇梅』評。やっぱり、巳之助が良かった。傘一本足なんて、とんでもない役だったけど、けっこう重要な狂言廻しで、最後には宙づりなんてものにも「挑戦」、大活躍。まあ、それも予測されたこと。彼が一番上手いんですからね。華がある役者さん。オトコマエでもなく(スミマセン)、キャラ立ちする風でもないのに、どこか放っておけないんですよね。「コイツはタダモノではない」なんて、ものすごい可能性を感じます。いつかお父さまの霊が降りて来て欲しい。彼はあんまりそれを望んではいないでしょうけど。そういうところも魅力なんですよね。欲がないところ。
女形の右近/米吉の競演が巳之助の傘一本足についで面白かった。二人とも20歳そこそこの役者さん。でも間違いなくこの二人は歌舞伎女形芝居、舞踊を牽引して行くであろう逸材。同世代の女形では壱太郎、梅枝、児太郎がいる。女形に関する限り歌舞伎の未来は明るい。この方たち、研究熱心だし、上手いから。
以下、「歌舞伎美人」からの情報。
<場一覧>
大名邸広間の場
葛西領源兵衛堀の場
廓裏田圃の場
枯野原の場
庭中花盛りの場
<配役>
骸骨/読売 中村 種之助
小姓白梅/雪女郎 尾上 右近
新造 中村 米吉
河童 中村 隼人
傘一本足 坂東 巳之助
狸 中村 歌昇
大内義弘 尾上 松也
<みどころ>
「百物語」とは、大勢の人が集まり百種の怪談を物語り、点けておいたたくさんの灯火を一つひとつ消しながら怪談噺に興じる遊びのことで、すべての灯りが消えて真っ暗になったときに怪異が起こるとされていました。ある大名屋敷で「百物語」が行われ、最後の灯火を小姓白梅が消すことになります。そこで起こる怪異に始まり、狸や河童、一本足の傘など妖怪の踊りが続きます。
雪の中に現れる雪女郎と新造の踊りや、骸骨やその後の読売のくだりなど、おかしみとみどころに満ちた舞踊です。
オカシイと言えば、狸(歌昇)と河童(隼人)の掛け合いも軽妙だった。芸達者と思ったら、歌昇だったんですね.道理で。いかにも狸。河童の隼人も負けずに軽やかで可笑しかった。あの端正なお顔が隠れていたので、彼とは最初気づかなかった。二人の相撲の行司をするのが能天気な傘一本足なのだが、この三人のやり取りがケッサク。
番附に興味深い情報が。この『闇梅』、そう頻繁に舞台に乗るものではないようだけど、平成に入ってけっこう乗っている。平成3年に歌舞伎座、9年に南座、10年と21年に金比羅歌舞伎で。10年のものを除いて、すべて十八世勘三郎が関係している。遡って昭和48年歌舞伎座、昭和61年金比羅歌舞伎のものにも彼が入っている。いかにも彼好みの作品。この洒脱と滑稽ですからね。その他の演者ではなんと先代歌六、先代歌昇の名が。それぞれ現米吉のお父上、現歌昇、種之助のお父上。またまたなんと!三津五郎も平成3年の歌舞伎座公演では傘一本足を演っている。音羽屋では平成10年に菊之助が傘一本足、松緑が狸だったよう。つまり今回の公演でこれらを選んでいるのは父祖の(?)衣鉢を継いだということ?笑いといっても江戸前のもので、関西のそれとはずいぶんと質が違うけど、平成9年にはこの南座にも乗っているから、再度上方で「挑戦」するという心意気だったのかも。