以下は当日の演者一覧。
シテ 杉浦豊彦
シテツレ 宮本茂樹
ワキ 小林努
ワキツレ 原陸
アイ 山下守之
笛 杉信太朗
小鼓 曽和鼓堂
大鼓 谷口正壽
太鼓 井上敬介
例により、「銕仙会」の能楽事典からの曲詳細を以下に。
作者 世阿弥
場所 陸奥国 狭布
季節 晩秋
分類 四番目物 執心男物
概要
旅の僧の一行(ワキ・ワキツレ)が陸奥国 狭布の里を訪れると、錦木を持った里の男(シテ)と、細布を持った里の女(ツレ)が現れる。男女は錦木・細布がこの地方の名産であることを述べ、錦木にまつわる昔の恋物語を語って聞かせる。二人は、その恋に破れた男の墓へと僧たちを案内し、そこで姿を消してしまう。実はこの男女こそ、恋物語の当事者たちの霊だったのだ。僧が弔っていると、在りし日の姿の男女(後シテ・ツレ)が現れ、昔の辛く悲しい思い出を語り、死後ようやく結ばれたことを喜び、舞を舞うのであった。
晩秋の灰色の光景。その灰色の背景が、一挙に華やぐ。引用の織物(インターテクスト)が織りなす詞章、その華麗によって。「素」のことばの連鎖が、引用の織物となり、それが背景を重くも艶やかなものに変貌させる。最終場、杉浦師のシテは、激しい舞で緊張の極地を描き出す。一転、シテの男の思いは遂げられ、極度の緊張が緩み、重さからは解放される。激情の発露の舞がすばらしかった。舞台に描き出された世界の濃淡の妙。唸らされる。
題材にもインターテクストが見られる。「小町もの」、つまり小野小町と深草少将との恋の行方との共通点がある。毎日一本の錦木(美しく彩った木の枝)を恋する女の門口に捧げてきて、三年が虚しく過ぎというんですから。ただこちらは「小町もの」とは異なって、悲恋は成就するという結末ではあるけれど。『謡曲百番』の解説によると、『求塚』、『女郎花』等の先行能の踏襲も見られるという。「舞事も含め男の友愛を描く『松虫』とも似る」との解説も。
さらに、「おびただしい古今の詩歌を巧みに引いた流麗なる文辞や緊迫した語勢は群を抜く」との解説も。そう、まさに引用の織物が作り出す華麗は世阿弥ならではの華やかさ。故事の枠組みを利用しつつ、『伊勢物語』、『和漢朗詠集』等の古典から引いたことばを重ね、新しい世界を創り出すという極技はまさに世阿弥ならではのもの。
私がもっとも感動したのは、シテ(男)、ツレ(女)の掛け合いで用いられた「きり・はたり・ちやう」。地謡がこれを「きりはたりちやうちやう」と後押しする。あの『松虫』に出てくる印象的な詞。そういえば、『松虫』も男執心物である。季節も同じく晩秋。それもあって余計にこの曲が懐かしく感じられた。
シテは前段では直面で登場するのだけれど、杉浦師の怜悧な感じが、後段の痩男の面と繋がると、不思議な調和があった。恋という理性ではいかんともし難い思い。それにかられて、自身の愚かさを知りつつも三年もの間、つれない女に錦木を捧げ続けるという男の想い(重さ)。ここのところが、見ている側に痛いほど伝わってきた。後段の激情の発露への流れが見事だった。杉浦師のシテをフルで見たのは二度目だったのだけれど、さすがだと思った。
宮本茂樹師のツレはいかにも「思われる女」の色気、魅力があった。高めの声も心地よかった。宮本師には昨年の大連吟の稽古で、一度だけ習ったのだけれど、体型とは違いとても鷹揚な方だった。おだて上手でもいらっしゃった。
ワキの小林努は何度も拝見しているのに、今回初めて下掛宝生だと気づいた。嫋嫋と色気のある声調が素敵だった。
お囃子は杉信太朗の笛がすばらしかった。強弱、緩急のつけ方がこれ以上ないほどぴったりで、「笛、ここにあり!」の感じだった。
当日いただいたイラストチラシ(くりこさん作)「あらすじ解説」が、可愛くてとてもよかった。