yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

片山九郎右衛門師の仕舞「雲林院」 in 「片山定期能1月公演」@京都観世会館1月21日

どこまでも静か、そして美しい舞いだった。

能、『雲林院』は『伊勢物語』の中核をなすところの在原業平と後の二条后、藤原高子との逃避行を題材にした作品。この仕舞では最後の「クセ」部がまわれる。京都紫野の雲林院を訪れた公光の前に現れた業平の霊が高子との逃避行を懐かしみつつ舞うという内容になっている。

以下、「銕仙会」の能楽事典からこの作品の「クセ」部の解説をお借りする。

シテは、二条の后との駆け落ちの時の様子を語ります(〔クセ〕)。

――頃は二月。あの日は宵のうちに月が沈み、闇夜の中、私達は忍んで出てゆきました。花散り積もる芥川を渡り、草の露にしおれた袖をからげ、迷いゆく旅路。夜も更け、降りだした雨は次第に激しくなってゆきます。雨に打たれ、逃避行を続けるこの身。頬を伝うのは雨か、それとも恋の涙なのか。すごすごと、迷い歩いていったのです…。

シテは〔序之舞〕を舞い、やがて夜は明け、夢は覚めて、この能が終わります。
「ああ、あの頃が懐かしい。月よ、かつての私の舞い姿を、覚えているかい…」 業平は、懐旧の舞を舞いはじめる。ひるがえす袖も美しい、王朝の貴公子の、雅びな舞い姿。

やがて時刻も移り、夜は間もなく明けようとする。『伊勢物語』にまつわる秘話を語りつつ、業平の姿は次第に消えてゆき…、公光の夢は覚めたのであった。

九郎右衛門さんの業平の霊はさまざまな想いを堪えている感じが素晴らしかった。美男でならし、文芸にも秀でていた業平。父、母、共に親王の出自という貴公子でありながら臣下に降ったという点、また美貌という点で、光源氏を想起させる。ただ、フィクション界の源氏と違って業平は不遇。それを思い合せてこの霊の舞姿を見ると感慨深い。

『伊勢物語』中の高子との恋愛、逃避行が高子の兄によって阻まれたさまは夙に有名。血の高貴さでは天皇に引けを取らないにも関わらず、統治するシステでムに潰されたという「伝説」は、強く人の心を打つ。そこで被った悲しみも、悔しさも、怒りも押し殺して生きたであろう業平。それが死後に霊となって、思いの丈を舞ってみせる。

(高子を負ぶって)芥川を渡るとき、濡れる足元を見る仕草が悲しい。

悲しみ、怒りなどのネガティブな感情を抑え込み、それを舞いに昇華させるだけの力が舞い手に要求される。舞いはあくまでも静謐でなくてはならない。それがいかに難しいかは察するに余りある。九郎右衛門さんの舞い姿はまさに業平の端然として、かつ貴いサマをたっぷりと見せてくれた。特に後ろ姿に余韻が残るところが、それが彼の品格の高さを示しているところが、素晴らしいのひとことだった。