橋掛かりに登場したそのときから、常より一層際立った圧倒的存在感のあるシテ、片山九郎右衛門師。あの有名な業平の歌、「唐ころも、着つつ馴れにし妻しあれば、はるばる来ぬる旅をしぞ思う」を吟じる。これは「カキツバタ」を句に読み込んだもの。里女とはいえこの女の格が高いことが「唐織」というその豪華な衣装で示される。この後、シテとワキとの掛け合いがかなり長く続くのだけれど、その掛け合いの中に業平とこの土地との関係、さらには業平の歌を通しての妻への想いが聞き手に伝えられる。この曲の作者(おそらく世阿弥)の歌への敬意が感じられる。羽織った豪奢な「唐織」は昔業平が逃避行をした相手の二条の后、藤原高子の身分の高さを表象している。
そして物着に至って、「里女が初冠と唐衣をつけることで杜若の精に変身」する。以下にplalaサイトから金春安明師の解説をお借りする(非常に啓発的な解説で、感謝です)。
冠には追懸(おいかけ)という馬の目隠しのような飾りをつけます。この飾りは身分の低い貴族(業平は朝臣で4位下)がつけたもので、業平が主役の「雨林院」「小塩」でも使われます。また、唐衣として菱模様(業平菱といいます)の長絹(ちょうけん)を着ますが、里女で出てくるときは唐織(からおり)という豪華な着物を着ています。長絹を羽織った後、この唐織を脱ぎます。面は「小面」、手には杜若の絵が描かれた中啓(ちゅうけい)という扇を持ちます。全体にゆったりした曲調で、囃子に太鼓も入り、華やかに舞います。同じく伊勢物語からは「井筒」という、妻(紀有常の娘)の思慕をテーマとした能があり、こちらは太鼓が入らず、しっとりとした曲です。
改めて、この物着の意味が大きいことがわかった。衣装をもっと近くで見ておけばよかったと後悔。冠に付いた飾りはとても印象的で、「なぜ?」と疑問だったのが解けた。前半の唐衣は高貴な女性、二条の后を表したもの、物着以降はこの唐衣をぬいで長絹を羽織り、頭の冠には身分がさほど高くないことを示す飾り。この落差が意図的であることは明らかである。冠は業平を表しているから。業平の叶わなかった高子との恋が通奏低音のように舞台に被っている。どこか重々しい雰囲気もそこに原因があるのかもしれない。
地謡が三河八橋とそこに咲き乱れる杜若に、業平の華麗な女性遍歴を暗示する謡を展開する。その内容がなかなか意味深である。
三河の国に着きしかば、ここぞ名にある八橋の澤辺に匂う杜若。
花むらさきのゆかりならば、つましあるやと思いぞいずる都人。
そもそもこの物語、その品多きことながら、とりわきこの八橋や。
三河の水の底いなく、ちぎりし人々のかずかずに名をかえ品をかえて、人まつ女。もの病み玉すだれの、光も乱れてとぶ蛍の、雲の上まで行くべくは。
秋風ふくとかりにあらわれ、衆生済度のわれぞとは、知るや否や世の人の。
『謡曲百番』では、「杜若」は二条の后を、また「三河」、「八橋」は業平が契った女たちを表していると解説している。「人まつ女」とは『井筒』の紀有常の娘、「もの病み玉すだれ」は良相の娘の円子、「光も乱れてとぶ蛍」は高子を表象しているとする。このくだりは伊勢物語中の「行く蛍 雲の上までいぬべくは 秋風吹くと雁に告げこせ」を踏まえているという。
続いての地謡の詞章、「わが身ひとつはもとの身にして 本覚真如の身をわけ、陰陽の神といわれしも、ただ業平の事ぞかし」と急転直下、業平は陰陽の神に祀りあげられる。女性遍歴を経て本覚真如の身(如来法身)の化身となる訳である。シテの九郎右衛門師の舞が優雅と豪壮とを兼ね合わせた、男性性と女性性とのアマルガムだという印象で終始迫ってきた。その舞に両性具有的匂いを強烈に感じたのは、業平が陰陽の神になるところから来ていたのだ。もちろん唐衣、長絹の衣装に男性貴族の冠というところにも、この両性具有が示されていたのではあるけれど。こういう曲を書くのはやはり『井筒』の作者と共通している。作者は世阿弥だろう。
序の舞は穏やかに始まり、テンポを速めてより華麗になってゆく。『井筒』の舞が比較的穏やかなのに、こちらはかなり切迫感がある。それは伊勢物語中の和歌をバンバンと打ってくるところにも感じられる。この長さでも退屈しない。この舞を持続させるには、並大抵の体力、何よりも精神力の強靭さが求められるはず。九郎右衛門師の杜若精の舞も謡も演者の大きさを感じさせるすばらしいものだった。感激した。見逃さなくて、本当によかった!
この日の演者の方々を以下に。
シテ 杜若の花の精 片山九郎右衛門
ワキ 旅僧 江崎欽次朗
笛 左鴻康弘
小鼓 成田 奏
大鼓 河村眞之介
太鼓 井上啓介
後見 青木道喜 大江広祐
地謡 武田邦弘 橋本礒道 味方 玄 大江信行
深野貴彦 橋下忠樹 梅田嘉宏 浦田親良
九郎右衛門師はそう大柄な方ではないのに、舞台全体にその存在が広がって行く大きさを感じた。とくに後ろ姿が圧巻の大きさだった。どこか温かい雰囲気がしたのは、やはり九郎右衛門師がその大きさで演者を包み込んだからかもしれない。