yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

改めて「ルグリ・ガラ」の画期性に瞠目!

前日の当ブログ記事にNHKで放映された「ルグリ・ガラ」がいかに画期的なものだったかを述べた。でもそれじゃ足らないんです。あの短い記事では到底カバーできない凄さだった。

ここには、ルグリの「意図」と将来への展望が明確に示されていた。彼はウィーン国立バレエ団とともにある。優れた若手を育てることに自分の軸足を据えている。そこは全くフラフラしない。彼自身も己のあり方を模索しているけれど、退いた「監督」としてではなく、参加者としてその場にいるのだという強烈な彼の意思を感じた。まるで射るようだった彼の信念。インパクトはすごかった。

このベクトルの向かう先に興味がある。ここ数年でこれほどまでにウィーン国立バレエ団を変えてしまったんですからね。だからロイヤルやらボリショイやらのプリンシパルたちが霞んでしまっていたほど。それほど、彼の育てたダンサーたちが技術の点でも芸術性の点でも抜きん出ていた。加えて若いということの利点をこれほどあからさまな形で感じさせれる舞台はなかった。

ベクトルを担ってゆくのは、若手ダンサーたちだろう。その担い手の中でもルグリが大きな期待を寄せているのは、やっぱりクラッシックを綺麗に踊れるダンサーたち。その点で「エスメラルダ」を踊ったナターシャ・マイヤー、また男性ソリストのヤコブ・フェイフェルリックが最右翼なのは間違いない。私がこの二人の「最も若手」のダンサー二人に感動したのは、最初に踊ったクラッシックではなく、2局目のあの過激な踊りだった。題して、「「Morzart à 2」。まるで全身何も纏っていないかのような「衣装」。動きは最初から最後までセンシュアル。ずっと男女のセックスを連想させる動きになっている。それを若い、美しい男女二人のダンサーが表現するんですよ。

クラシックにコンテンポラリーを組み入れる、それも各ペアごとに。でもそれが「機械的」じゃないんです。何か止むに止まれぬことがあって、その結果がコンテンポラリーになったという体裁がとられている。

若い二人のセンシュアルなダンスのすぐ後には、ルグリ/ゲランの中年コンビの「フェアウェル・ワルツ」が来るんですからね。男女の巡り会い、恋愛、結婚、そして別れ。それを一つのパノラマとして観客に見せるところに、この公演ルグリの狙いがあったように感じた。大御所たちはいわば「人寄せパンダ」にしか過ぎず、ルグリが真に狙っていたのは自身が育てた若手たちを公開すること、彼らの実力を広く認めてもらうこと。そこに彼の人生、将来をしっかりと重ね合わせたこと。しかもそれは彼のダンスとして、最後に示される。

なんという自負。なんという覚悟。なんという「野望」。これらすべてが一体となって、踊り手を突き動かし、また支えてきているんだろうと想像できる。こんな芸術監督を持ったウィーン国立バレエ団はなんと幸せなことか!これからももっと伸びて、おそらくは近いうちに「世界一」と冠されることになると思う。

ルグリはすごい。指導者としてはもちろんのこと、踊り手とて見ても。あの最後のソロ「Moment」なんて、言葉はいらないですよね。とにかく桁外れ。

サイトのソロの伴奏をされた滝澤志野さんの演奏も繊細かつ大胆で素晴らしかった。