yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

パリオペラ座『天井桟敷の人々』特集 ダンスマガジン2013年8月号

昨日図書館に行った折に、この号の表紙が目に飛び込んで来た。懐かしいひとに出逢ったようで、うれしかった。

この公演、2013年6月1日に夜の部を東京文化会館でみて、ブログ記事にもしている。今までにみてきたバレエ公演(大した数ではないけど)の最高峰だった。たぶん「世間の」評価もそうなんだろう。心躍るバレエだった。このあとに英国ロイヤルバレエの来日公演も観たのだけれど、比べるべくもなかった、たまたまこの来日公演が良くなかっただけとは思うんだけど。とくにダンサー達の演技力。『天井桟敷の人々』の踊り手たちの、なんとすばらしい表現力だったことか!

このあとかの有名なマルセル・カルネ監督の映画も観た。叙情、ペーソス描出の点でさすがに映画はすばらしかった。また当時のパリの下町の雰囲気を生々しく伝えている点で、映画は優れていた。白黒であるのも効果をより際立たせていた。人情劇が悲劇に転じるその瞬間を描いていた。映画史上最高傑作のひとつになっているのも、むべなるかなと思った。

でも私には、バレエ版の方が今の観客により強烈に訴えかけるように思われた。それを可能にしたのは、やっぱり演出というか振付けのすごさだだろう。ソースになる映画そのものではなく、それをいかに今、ここにいる観客の目に耳に訴えるものにするのか。どう解釈するのか。振付師の腕のみせどころである。ジョゼ・マルティネスの。この日の公演を観たときに、振付師のことを考えなかったのは迂闊。ウィーン国立バレエもマニュエル・ルグリが芸術監督に就任して飛躍的に現代的になったというのだから。

夜公演をみたのだけど、開演10分前に会場に入った途端、驚いた。扮装でパントマイムを演じるダンサーたちがあちらでもこちらでも踊っている。こんなんだったらもっと早くに入場するんだったと後悔。そのパントマイムが実際の舞台へと繋がってゆくんですからね。冥界、否、天上国(「天井桟敷」そのものにその含みあり)へといざなう仕掛けなんですよ。アメリカでみた芝居のいくつかで、こんな経験はしたけれど、「バレエでこれをやるか?」って。ホントにたまげた!お客さんたち、ごく当たり前のごとくまるで自分がパントマイム劇を舞台上でみる観客のひとりになったかのように振る舞っていて、これにもびっくり。みなさん、よくご存知なんですね。

このうきうき感のまま、実際の舞台をみるというのは、これ以上ない効果を上げていると思う。もう一度味わいたい。バレエというより、演劇のそれに近かった。

主役のバチストを踊ったステファン・ビュリオン、ガランス役のアニエス・ルテステュの二人をこのマガジンの中で確認できた。

この夜の部の前の昼公演での主役のマチュー・ガニオ、イザベラ・シアラヴォラ、二人の写真も載っていた。こちらも美しく、力強い演技が見えるようだった。

前の記事で「下宿の女将の名が分からない」と書いたど、このマガジンのお蔭で判明。ギレーヌ・レイシェル。

パリオペラ座のバレエがあまりにも素晴らしかったので、このあとオペラ座のネット会員になった。定期的に公演情報が送られて来る。どれも涎が出るような素晴らしい演目のオンパレード。どちらかというとコンテンポラリーが多いし、こちらが本領のよう。去年、行く計画を立てたのに頓挫。11月にロンドンに学会発表で行くけど、そのとき余力があれば行きたいと考えている。