「枕慈童」は喜多流と金剛流の呼び方で、他流では「菊慈童」というらしい。人間国宝の友枝昭世師がシテ。友枝昭世師のシテ舞台は大槻能楽堂で『綾鼓』を見て以来。期待に違わず、圧巻の舞台だった。
『枕慈童』関連のサイトは以下。他では、youtubeに法輪寺に2006年9月に奉納された舞の一部がアップされている。
「菊慈童(枕慈童):邯鄲の枕の夢(能、謡曲鑑賞)」
「白翔会」サイト
王の治世を支える、秘密の教え。その妙文が記された菊の葉からは霊薬の水が滴り、不老長寿の薬となって国土を潤す。
秘境の奥で明かされる、祝福の物語。作者 不詳
場所 中国 酈縣山(れっけんざん) (現在の中国河南省にあるとされる架空の山)
(「酈」は「麗」に「おおざと」)
季節 晩秋
分類 四番目物 唐物
この日の演者一同が以下。
シテ 慈童 友枝昭世
ワキ 勅使 殿田謙吉
ワキツレ 従臣 大日向寛
ワキツレ 従臣 梅田昌功大鼓 國川純
小鼓 曽和正博
太鼓 観世元伯
笛 松田弘之後見 香川靖嗣 中村邦生
地謡 谷友矩 粟谷光雄 内田成信 粟谷浩之
友枝雄人 粟谷明生 粟谷龍夫 長島茂
舞台正面には何本もの菊の花が飾られている。深い森の中に、菊の花が咲き乱れているのを表している。魏の文帝の時代。西の奥地の山中で薬の水が湧き出たとの報せを受けた帝は、勅使(ワキ・ワキツレ)を派遣する。
勅使が森を分入って行くと、そこには庵が。庵から一人の童子が出てくる。シテの友枝昭世さん、現れ出た瞬間に、「ああ、この方!」って思わせる気品がある。声はまさしく寿夫さん謡を思わせる嫋嫋としたもの。童子は、周の穆王に仕えていた「慈童」という名の童子だと名乗る。周の穆王というのは遡ること700年の時代の王。驚く勅使たちに慈童は王から賜った枕を見せる、そこには法華経の経文が書いてあり、それを菊の葉に滴らせたところ、それが不老不死の霊薬になったという。慈童はその水を飲んで700年生きてきたのだった。
ここからが慈童の舞。慈童は不老不死の水の霊力をたたえ、舞を舞う。やがて不老不死の水は酒に変じ、慈童はそれを飲み舞い乱れる。ここでの舞がかなり長い時間。舞台を縦横に舞うのだけど、お囃子もだんだんとテンポが早く、強くなってゆく。見せどころ。速くはあるのだけれど、狂っているというのではなく、あくまでも喜びが募るというサマを見せる心持ち。友枝昭世さんの舞い、緩やかな舞の中にもどこかキリッとした感じがあり、これぞ喜多流と思わしめた。喜多流の舞と謡とを能舞台で見るのは前述したように今年2月の大槻能楽堂での『綾鼓』以来。でも当時は地謡にまで注意を払っていなかったので、喜多流の謡がどんなものか記憶になし。今回が意識して聞く初回になる。謡も観世とは違っているような気がした。やっぱり、キリッという感じかな。白洲正子さんがお好きだったのが、わかる気がした。関西だとあまり聞く機会がないのが残念ではありますが。
シテの衣装が華やかで、「彼(慈童)は、帝の聖徳をたたえ、長寿の霊力を捧げると、もとの仙家へと帰っていったのだった」というハッピーエンドの形で終わるのも、気分がいい。祝福の能というのも頷ける。
もう一つ気づいたこと。あの舞台いっぱいの菊に上田秋成の「菊花の約」を重ねてしまった。さらにいえば、三島由紀夫の『近代能楽集』中の「邯鄲」を重ねてしまった。三島はこの『菊慈童』をアリュージョンとして使っているとおもう。『菊慈童』に出てくる枕も邯鄲の枕ですからね。再度、読み直して見たいと思った。