yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

『安宅』in 第2回味方圓「能の会」@京都観世会館 3月20日

第2回味方圓「能の会」を見てきた。能の演目は『安宅』だった。歌舞伎では何度もみたことのある演目。今回はシテの弁慶を圓さん、義経をご子息の 慧君が務めた。親子共演である。ワキの冨樫を福王知登さん。歌舞伎では義経の従者は四天王と弁慶だが、 能の場合はもっと多くて、9人もの従卒者 !以下がこの日の演者一覧。

若手の演者が多く、全体的に勢いがあった。圓さんもそうだし、ワキの福王さん、それに従卒の9人もそう。さらには、アイの強力、太刀持共に若い。一番若いのは、義経役の慧君。7歳だとか。

能と歌舞伎では弁慶の解釈とそれに見合った演じ方は随分違っているのだろうという予想に反して、歌舞伎を彷彿させるものだった。能の「安宅」は歌舞伎の「勧進帳」に先行しているわけで、歌舞伎的な演じ方を逆輸入したのかもしれない。もっとも、能で「安宅」を見たのが初めてなので、他の演じ方との比較ができない。と悩ましく思っていたら、今読んでいる『幻視の座』(土屋恵一郎著、岩波書店、2008年)に、「安宅」についての言及があった。この本は、土屋氏が昨年亡くなった宝生閑氏への2年間に渡るインタビューをまとめたもの。非常に啓発的な書で、図書館から借り出しいていたのだけど、結局は古書で入手した。ちなみに宝生閑氏は、下掛宝生流の名ワキ。人間国宝に1994年に認定されている。あの観世寿夫の盟友。彼と「冥の会」を共催していた。

土屋氏は宝生閑さんを「最高の冨樫役者」としている。DVDで彼の舞台は見てはいるものの、実際のものは見ていないのが残念。もう鬼籍に入られたので、永遠に叶わない夢になった。で、シテの弁慶を演じた役者談義になったところが、興味深かった。友枝昭世さんのものが、「静かに、静かに」演じたのだという。それは彼のニンでなかったからだろうとのこと。またもし観世寿夫が生きていたら、きっと弁慶を演っただろうという話になり、そのとき、寿夫氏なら弁慶の読み上げを「大音声で謡あげるみたいな」、そんな強い「安宅」になっていたのではと結んであった。

確かに「安宅」はシテが直面で出てくる珍しいもの。役者にとってはやりづらいかなり難しい演目。今回圓氏がこれを選んだというのは、極めて挑戦的な試みだったといえるのかもしれない。だいたいが、この従者の人数からして能のスタンダードとは大分異なり、違和感がある。でもこの人数を見た瞬間に既視感があった。胸がざわざわした。なんと観世小次郎信光作とのこと。違和感が腑に落ちた。というのも、2月に大槻能楽堂で観た信光作の『星』に酷似していたから。信光の既成の能に対する革命的な挑戦が、この『安宅』にも窺えた。

圓さんの弁慶、健闘だった。ただ、荒削りな感じがあったのは、初挑戦だったから?従者の中の林宗一郎さんが(予想通り)良かった。冨樫への口調を荒げての台詞が立っていた。若々しい「未熟な」感じが、きちんと作戦を計算できる弁慶と好対照をなしていた。冨樫役の福王知登さんはまだ冨樫の解釈が十分でなかったような。こちらも回数を重ねたら良くなるだろう。

それにしても、この演目を選んだこと自体が非常な挑戦だったに違いない。歌舞伎版は人口に膾炙しているわけで、若い人で舞台に乗せるのはどんどんやってほしい。間違いなく人気作品になるだろう。

骨折した右手の再診に一昨日行ったら、かなり大きめのギブスに替えられた。動きがかなり制限されてしまう。また、指をあまり動かさないようにと言われたので、ずっと文章を打つのは控えていたのだけど、我慢できずにこれを書いている。google documentの音声入力を試して見たけれど、やっぱり勝手が悪い。仕方なく指入力。慣れて、速く打てるようになればいいのだけど。