yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

狂言『因幡堂』in「春日若宮おん祭」@春日大社若宮 12月18日

楽しい狂言。狂言は皆楽しいんですけどね。この日は能、『羽衣』と『黒塚』との間に演じられた。緊張感のある『羽衣』の舞台で、体も精神もかなり突っ張った状態になっていた(寒かったというのもありますが)のに、この狂言のおかげで体がほぐれたし気分も晴れた。観客席上手に立って見ていたのだけど、私の向かい側(舞台下手)に座って観劇している人たちが「あははは!」と笑いながらご覧になっていた。それを見るのも楽しかった。

うまく妻を騙したと思った夫がみごとにしっぺ返しを喰う話。これは歌舞伎にもなった有名な狂言、『花子』とも共通したテーマ。時代、世代を超えての普遍性(?)を持っているから。男性は女性よりもっと身につまされる?

本当にシンプルな舞台。登場人物も二人のみ(後見が一人でられますが)。ことばとちょっとした動きでのみここまでのおかしさが出せるんですね。「間」が重要な役割を果たしていることがわかる。夫を茂山あきらさん、妻を網谷正美さん。お二人の演技がとにかくすばらしい。

以下にWikiからのこの狂言のサマリーを。

大酒呑みで家事もせず、時に自分をいびる悪妻が親元に行ったのを見計らって離縁状を送りつけた夫。自由の身になったものの一人暮らしはやはり不便だと、新しい妻を娶るために夜通し祈願をすべく因幡堂を訪れる。それを知り烈火のごとく怒って因幡堂にやって来た妻は仏前で祈願の最中に眠っている夫を見つけ、その枕元で「西門に立っている女を妻にするように」と囁いた。それを夢のお告げと思い込んだ男は、西門に立っていた被衣を被った女を新しい妻とするため自宅へ連れてゆき婚礼の盃を交わすが、この女もまた大酒呑みで盃を返そうとしない。女の被衣を取るとその女は離縁した筈の妻であった・・・

スリムな体型で飄々とした感じのあきらさん。色々と妻を出し抜く策を練るのが、なんともおかしい。この段階でまだ登場しない妻がこわーい女性(にょしょう)だとなんとなくわかってしまう。そこに登場した妻役の網谷正美さん。予想を裏切らない立派な体つき。体があきらさんより一周りも大きいだけではなく、声も野太い。

妻の方は被衣を頭からすっぽりと被ってその姿を隠している。でも大きい!その人が何か問われるたびに大きく体を振って「いやいや」をするのがおかしい。それを夫が、「恥ずかしがっている」と誤解して、その上可愛いと思っている風なのもおかしい。三々九度の盃のはずが、それを大杯に何倍も飲み干す時点で、それが妻だと気づくはずなのに、新妻を娶ることに夢中になっている夫は気づかない。そこに誤解というか、思い込みというか、そういうものがしっかりと描けているんですよね。男と女、ふたりの生活はある種の「幻想」の上に成立しているということを知らしめられている気がする。ちょっとドキッとしたりして。

妻だと露見。逃げ惑う可愛い感じの茂山あきらさん。それを「やるまいぞ、やるまいぞ」と追いかける網谷正美さんに、盛大な拍手が送られていた。