yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

茂山千作師の狂言『墨塗』in 国際交流基金主催「能と狂言の会」@京都観世会館 11月20日

初めて見る演目。とにかくおかしかった。外国人留学生も大喜び。「思い知ったか、京都大蔵流狂言の実力!」って、心の中でつぶやいていた。演者一覧は以下。

シテ(大名)   茂山千作

アド(太郎冠者) 茂山茂

アド(女)    茂山千五郎

後見       島田洋海

以下、いただいたパンフレットに記載されていた鑑賞の手引きから。

訴訟のため都に滞在していた大名が,無事解決して帰郷するに際し、在京中になじんだ女のところへ別れを告げに行く。女は悲しげに泣くが、実は、鬢水入れの水で目をぬらして泣き真似をしていたのである。それに気付いた太郎冠者は、大名に告げるも信じないので、そっと、水を墨に取りかえる。
それを知らずに、水を墨に取り替えておく。それと知らぬ女がなおも墨を目の下に塗って泣くので,その顔を見た大名は、女の心を知り、恥をかかせようと,形見に鏡を与える。 顔をうつしてみた女は怒り、太郎冠者をつかまえて墨を塗り、大名にも墨を塗って、逃げる二人を追いかける。 

 千作さんの間の取り方が絶妙。緩急のつけ方が自在で、まさに名人。対する千五郎さん、茂さんも負けていない。「ぼーっとしている」感じなのに、しめるところはきっちりとしめている感じが千作・千五郎家の体質。東京の狂言にはないクオリティ。上方漫才は苦手な私でも、「さすが、上方!」って唸ってしまう。先だって京都南座の顔見世でも「上方」のおかしみを散々見せつけられたけれど、京都の狂言はあんなに押し付けがましくないんです。はんなりとおかしい。実に上品。これ衒学的っていう意味ではないですよ。地に足がついていて、それでいて下世話ではない。これすべて呼吸のなせる技だと思う。息遣いのなせる技。「どうだ、おかしいだろう!」って、力で押してこない。トウキョウ発の狂言を見ると、概ね鼻白んでしまうのは、そこなんですよね。「あんなの、格好つけすぎでしょ!」って、関西人のわたくし目がホザイています。笑い飛ばしてください。