フランスのマルセイユでの大会。このショートプログラムは演技としても最高のもの。今期最も高い得点だった。演技の完成度はこれ以上ないほどで、そのスケーティング内容も曲の世界観を見事に具現化していた。受肉化していた!
羽生選手が多岐にわたる音楽に「造詣が深い」のは今までに証明されているけれど、この「Let’s Go Crazy」という選曲はその認識をさらに強めるものだった。彼の身体がこの曲そのものになりきっていた。メタモルフォーゼ。音楽のスピリットに、そしてそれを作曲・演奏したプリンスに一体化していた。
このSPを最初に見たのはカナダ大会の放映でだった。純白の上下に茶模様のベストという出で立ちには違和感があったので当ブログでそうコメントしてしまった。どこか司祭を思わせる衣装。歌詞を見て納得。悪魔払いというか、それに打ち克つ「狂気」(あえてこう言っておく)を歌い込んだ歌詞だった。それを司祭の説教(preaching)として表明している。この曲の入ったビデオ、「Purple Rain」には、プリンスがこの衣装に似た姿で登場している。あのクレイジーだけどどこか宗教的な匂いのするプリンスなので、納得。でも「司祭」色が強くなると、「羽生結弦」ではなくなる。そんな気がしていた。
次のNHK杯では衣装替え。紫の上下にベスト。これはすてきだった。紫はプリンスのトレードマークの色。白より司祭色が減じている。かといって世俗的なわけではない。天界と地上の間にいる高貴な人の色。紫は日本では特別な意味がある。また様々なアリュージョンを呼び起こす。紫は官位、法衣の最高位を示すものだった。万葉の昔から「紫」で表される女性は美しく高貴な女人。衣装を見立てた方がどなたかはわからないけど、「紫」が日本で持つ意味を理解されていたような気がする。でもどこかフェミニンな印象の色なんですよね。ロッカーのプリンスにもどこかフェミニンな要素を感じることがあり、それがあのトレードマーク色になったのかとも思う。翻って羽生選手にもそういう要素がある。
最初はオルガンのメロディー(これは教会での礼拝を連想させる)で始まった曲、それが徐々にロックに転じて行く。リズムも激しく、アップテンポになる。羽生選手の演技も断然キレが良くなる。中盤からは真性ロッカーに「変身」。力強く、ノリノリ。脚の動き、手のふり、身体のひねり、すべてが真性ロッカー。それ以上にその表情!まさに「どうだ!」と観客へ挑発的な視線を送る。その決め表情に合わせての手の「Come on!」。観客(視聴者)は彼のペースに乗せられ、巻き込まれ、たらし込まれる。カンペキに。
他のスケーターだったら、曲に合わせていわゆるロッカー風の衣装にしたと思う。もっとマッチョ風の。でもこの衣装ですからね。紫が纏う意味合い、それは高貴さと女性性。それがこの美しい羽生結弦という人の麗しいかつ繊細な身体の属性でもある。でも彼の中には男性的な荒々しさ、荒ぶる魂もあるんですよね。それがこの「ロッカー」の演技になっているように思う。
曲自体がポリフォニー的であるけれど、羽生結弦選手の演技もまさにそう。司祭だったり、恋人だったり、悪魔だったり。また嫋やかな女性だったり、荒ぶる男性だったり。さらにいうなら、アメリカ的だったり、日本的だったり。キリスト教の神だったり、日本古代の神々だったり。演技の表情としてこれらが複層的に立ち上がる。それをこなすにはもちろん高い技術力が必須だったろうけど、知的、精神的な高さが絶対条件。
でもね、それを最後には覆しちゃうんですよ。Let’s Go Crazy!って。そして一演技者として深々と観客に礼。こんなの見たら、どうしたらいいんですか!