yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

不条理が「条理」に転じた『浮かれ心中(うかれしんじゅう)』(中村勘九郎主演 in 「明治座四月花形歌舞伎」@明治座 4月7日夜の部

元の本は井上ひさし作の『手鎖心中』。小幡欣治 脚本・演出、大場正昭 演出による。副題が、「中村勘九郎ちゅう乗り相勤め申し候」となっている通り、勘九郎が宙乗りを演じて見せた。どこまでも破天荒で楽しいお芝居。でも見終わった後が怖い。

以下配役とみどころ。

<配役>
若旦那栄次郎   中村 勘九郎
おすず      尾上 菊之助
太助       坂東 亀三郎
帚木       中村 梅枝
清六       中村 萬太郎
栄次郎妹お琴   坂東 新悟
伊勢屋番頭吾平  市村 橘太郎
遣手お辰     中村 歌女之丞
役人佐野準之助  片岡 亀蔵
伊勢屋太右衛門  坂東 彦三郎


<みどころ>
戯作者になろうと話題づくりにはやる大店伊勢屋の若旦那・栄次郎。親の許しを得ずに長屋の娘おすずと婚礼を挙げたり、吉原の花魁帚木を身請けしたり、手鎖の刑を受けようと役人に頼み込んだりする始末。挙句、栄次郎は帚木と心中するという大茶番に打って出ますが…。井上ひさしの直木賞受賞作「手鎖心中」を舞台化した『浮かれ心中』は、“ちゅう乗り”もみどころの笑いにあふれる作品です。

戯作者が主人公と聞いて、どうしても観たかった狂言。期待通り、いかにも、「江戸の戯作者という者はかくあったのか」と、思わせる内容。現代のような「世知辛い世」には絶対に生まれないバカバカしさの極致のような主人公、栄二郎。その頃流行りの黄表紙作家になりたいというので、親から逆勘当されたってんですからね。実生活も戯作者の描く世界と一致させようっていうわけです。ことほど左様に、栄二郎の世界は隅々まで「逆転の発想」に支配されている。

戯作者にとって「都合が良い」というので、顔も見ないまま本屋の娘と結婚するのだけど、相手が美人で気立てが良いと分かると、結局は本当の夫婦になってしまう。本来なら形だけの夫婦でなくてはいけなかった。世相風刺をすると捕えられ、手鎖の刑を受けると聞き、「戯作者」になるために心にもない風刺作品を書く。もちろんん手鎖の刑を受けるのだけど、得意満面の栄次郎。つける薬がない。

こんな栄次郎だから、その程度で納まるはずもない。形だけの身請けをした女郎と心中ごっこを企てる。戯作を「実践する」というわけ。この茶番劇、結局は彼が「昇天」するという結末を迎えて幕を閉じる。とはいうものの、宙乗りであの世に向かう栄次郎の楽しげなこと!あとに残された舞台上の役者、そして栄次郎の宙乗りを口をあんぐり開けて見送る私たち観客の方がまるでバカみたい。そんな光景が展開する。

何が「真実」なのか。果たして真実なるものはあるのか。こう問いかけると、そこに現れるのはどこまでもカッコに括られる世界。虚構と現実との区別はもはやつかない。

井上ひさしという作家が実に恐ろしい作家だと思い知らされる。喜劇という体裁をとりながら、人間存在の虚構性を、私たちが生息するこの世の中の欺瞞性を余すことなく描いている。おそらく井上は彼自身をこの栄次郎に重ねていたのだろう。そう思い至ると、胸が痛む。天才は孤独である。三島由紀夫とは描出する世界が異なってはいるけれど、多くのものを彼と共有している作家が、井上ひさしという劇作家なんですよね。

勘九郎の栄次郎は説得力があった。何よりも可愛いかった。でもやっぱりこの突き抜けたバカバカしさ、そしてそれと表裏一体の恐ろしいまでの深淵を描くにはまだまだ年齢不足なのかもしれない。彼のお父上の勘三郎の栄次郎を見たかった。平成9年、歌舞伎座。この破天荒感を出せる役者は、おそらく故勘三郎をおいてはいないだろう。これからもきっと。