yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

魅せ場満載の『通し狂言 しらぬい譚(しらぬいものがたり)』@国立劇場大劇場1月13日

合巻と呼ばれた絵入り長編小説を芝居に仕立てたもの。原作者は柳下亭種員ほか。合巻の中でも最長らしい。これを題材にした歌舞伎、講談、浮世絵なども生まれたという。とてつもなく長い物語なので、国立劇場の文芸部がそれを整理、書き直し、補綴し、五幕八場にまとめた。監修は菊五郎。

戯作作品、特に合巻は物語に重点が置かれているので、長い。しかも脱線やら主筋を外れた付け足しだらけ。江戸時代の人は気が長かった?河竹黙阿弥が『志らぬひ譚』として劇化したのを、国立劇場が1977年に復活上演。チラシに付いた解説によると、「今回は、原作の面白い趣向や設定を換骨奪胎し、先行の劇化作品や講談を参考にして、新たに台本を作成」したとのこと。さすが優秀な国立劇場文芸部。復活狂言として再舞台化するにあたり、一旦換骨奪胎した上で組み直してゆくという作業は、去年1月の『小春穏沖津白浪 −小狐礼三』にも見られた。国立劇場ならではの手間暇を惜しまない復活狂言上演の努力、頭が下がる。

元のなが〜い物語を整理し、主筋を壊さないよう、脇筋を取捨選択したのだろう。ちょっと気になったのが、「錦天満宮鳥居前の場」が他の場面からかなり浮いた感じがしたこと。これはなくても良かったのでは。その分、大詰めをもっと膨らませた方が、観客の理解には親切だったと思う。元の合巻にある猥雑さを活かすにも、その方が面白かったのでは。

いろいろな素材、モチーフをぶち込んだのは、合巻のある種の「いかがわしさ」を前面に出すのに、大いに貢献したと思う。でもそれらがあまりにも整った形で提示されているように感じた。でもそれは「ないものねだり」なんでしょうね。戯作特有の「お腹いっぱい」感は今の観客には受け入れられないかもしれないから。

タイトルの「白縫(しらぬい)」はもちろん「不知火」をかけている。筑紫の国、ここでは筑前が舞台。不知火はさらに九州に伝わる妖怪をも表している。その「妖怪」に合巻十八番の「お家騒動」を絡ませたもの。そう聞いただけでも想像力がかきたてられる。江戸の戯作作者にとっては自家薬籠中のテーマだっただろうから、腕が鳴ったんでしょうね。きっといろんなモチーフをぶち込んで「創作」したのが元の「小説」だったのだろう。その劇化だから、寄り道だらけで、到底現代の「芝居の長さ」に収まるはずもない。主要プロット、主筋を絞り込みそれを、現代の観客にも理解できるよう再構成した結果が今度の舞台。以下にチラシの表、裏をアップしておく。

配役等を文書に変換したのが以下。

柳下亭種員ほか=作『白縫譚』より
尾上菊五郎=監修
国立劇場文芸研究会=脚本
通し狂言 しらぬい譚(しらぬいものがたり)五幕八場

「尾上菊之助筋交いの宙乗り相勤め申し候」(と詞書が付いている)

<主な配役>
鳥山豊後之助     尾上菊五郎
鳥山家乳母秋篠    中村時蔵
将軍足利義輝     中村時蔵
鳥山秋作       尾上松緑
大友若菜姫      尾上菊之助
七草四郎       尾上菊之助
菊地貞行       坂東亀三郎
鳥山家家臣龍川小文治 坂東亀寿
秋作の許嫁照葉    中村梅枝
雪岡家家臣鷲津六郎  中村萬太郎
足利家家臣三原要人  市村竹松
傾城綾機       尾上右近
足利狛姫       尾上右近
多田岳の山猫の精   尾上右近
菊地貞親       尾上左近
大蛇川鱗蔵      市村橘太郎
大友刑部       片岡亀蔵
独鈷屋九郎兵衛    河原崎権十郎
海賊玄海灘右衛門   河原崎権十郎  
医者藪井竹庵     坂東秀調
足利家老女南木    市村萬次郎
雪岡多太夫      市川團蔵
錦が嶽の土蜘蛛の精  坂東彦三郎 

主筋は江戸時代初期に実際にあった筑前黒田家のお家騒動に絞り込んでいる。黒田家をモデルにした菊地家のお家騒動。菊地家に滅ぼされた豊後大友家の残党によって、菊地家が存亡の危機に直面する。残党の中核にいるのが、土蜘蛛の精から蜘蛛の妖術を授かった大友家の若菜姫。一方、この残党一味に立ち向かうのは菊地家重臣の鳥山豊後之助とその子息、秋作。彼らは菊地家家宝の「花形の鏡」で若菜姫の妖術を封じようとする。菊地家家臣たちと若菜姫のこの花形の鏡をめぐる戦いが展開する。

発端から醸し出される奇怪さ。妖怪が主人公の物語なんですよね。菊之助は妖怪になりきるにはちょっと品が良すぎたような。でも『合邦』であれだけの演技ができた人なんですからね。今回は遠慮気味だった?あるいは「試作品」を示した?

菊五郎がそれを「補っていた」ように感じた。変幻自在。どんな時にも余裕がある。その「余裕」のおかげで、全体に奥行きが出ていたと思う。計算しているわけではなく、自ずと出てくるおおらかさなんだろう。

おおらかさといえば、松緑が健闘していた。現代的な演目ではその個性が際立つのに、古典ものでは「あれ?」と感じることが多かったけど、今回の古典芝居にはきちんと収まっていた上に、その個性が発揮されていた。器が大きな役者になられたんですね。好きな役者の一人になった。

時蔵が良かった。どんな役でもきちんとこなせる役者。得難い。秋作の乳母、秋篠役で秋作に言いよる場面はみごとの一言。娘役の梅枝をはねのけ、悦に入っている様のグロテスクさ。あの折り目正しい時蔵とは思えない。

受けて立つ梅枝はその初々しさが匂い立つ。彼も何処にいてもきちんと居場所が確保できる役者。お父上の時蔵とはちょっと違ったニンかもしれないけど、女方の中核を成すことは今から保証できる。

女方といえば、尾上右近が予想通り素晴らしかった。なんと三役をこなしていた。美しさと品の良さでは群を抜いているけど、それ以上に役の性根をきちんと理解し、表現できる稀有な女方。ますます伸びるのが楽しみ。

怪優の亀蔵氏。ここでもその怪優ぶりを発揮。気を吐いていた。何処にいてもdんな役でも「亀蔵」カラーにしてしまうその卓越した演技力!なくてはならない人だから、今回国立劇場組に入ったことを他劇場の座頭たちは悔しがっているだろう!?

大まかなプロットは以下。

筑前城主の菊地貞行は遊興にふけっているが、それは家老、刑部の陰謀だった。そこに近づいたのが美しい小姓の七草四郎。明らかに「天草四郎」のもどき。 元は天草四郎の脇筋があっただろうけど、これは端折ったのだろう。四郎は実は若菜姫の変装だった。貞行に気に入られた四郎は出世、家老にまで昇りつめる。四郎は実は刑部と組んで菊地家滅亡を謀っていたのだった。しかもこの刑部こそが、若菜姫の父を裏切って菊地方に付いた謀反人だったことが、あとで判明する仕組み。

ここに「化け猫騒動」のモチーフが絡む。そういえば件の騒動も九州肥前佐賀藩のものだった。入内することが決まっていた足利義輝の娘、狛姫が化け猫に襲われる事件が起きていたが、その猫退治に妖術を封じる「花形の鏡」を差し向けることになった。ところがそれは若菜姫に阻まれる。鏡を奪い取った姫はそれを割ってしまう。しかしそれは偽物で、あらかじめ豊後之助が本物と差し替えておいたのだ。秋作とがこの若菜姫と対決する豊後之助と秋作。秋作は若菜姫の発する蜘蛛の毒にやられてしまう。

勝利の高笑いを残し、若菜姫は空へと消えてゆく。ここで菊之助の宙乗りが見られた。「筋交いの宙乗り」と呼ばれるものらしく、天井にロープが筋交いに貼られている。美しい菊之助がそのロープを移動する様は圧巻。でも今まで見てきたものとは違い、何処までも優雅。サービスも満点で、かなり下まで降りてくる場面が何回かあった。手を伸ばしている人もいたっけ。

さらにあの『合邦』をなぞらえるエピソードも挿入される。蜘蛛の毒にやられた秋作を介抱するのが乳母の秋篠なのだけど、秋作に「女」として迫る。ちょうど玉手御前のように。これを見た息子の小文治が母に刀で突く。そこから流れ落ちる血潮を秋作の飲ませるための芝居だったことがわかる。「酉の年月日時生まれの女の肝臓の生き血を飲めば、秋作が平癒する」というのが、彼女が信心する観音のお告げであった。彼女の生き血を飲んで、秋作の病は治る。これはまるで玉手ですよね。

次の幕は他のものとかなりトーンの違うもの。舞台は京都に移り、京の市井の人たちの生活ぶりが描かれる。秋作の許嫁の照葉と鷲津六郎が茶店を営んでいるという設定。それも御所に出仕する秋作を援護するためだった。ここでの見どころは、先ほど宙乗りで彼方へ消えて行った菊之助ならぬ若菜姫がお稽古の師匠、お春に化けて登場。照葉に化けたお春は秋作から「花形の鏡」を奪おうと企んでいたのだ。しかし失敗。

最終幕は室町御所から始まる。なおも化け猫の祟りに悩まされていた狛姫を秋作が助ける。ただ、花形の鏡を奪われる。絶体絶命の危機を救ったのが雪岡多太夫が秋作に託した銀の槍だった。これで怪猫を退治、鏡も奪還できた。

大詰めは再び九州に戻る。題して「島原の塞の場」。これも明らかに天草四郎の島原の乱のモチーフですよね。若菜姫は海賊を手なずけ、菊地家への復讐最終段階に入っている。蜘蛛の妖術を駆使して菊地軍を翻弄するが、豊後之助に花形の鏡を向けられると、妖術は破られる。若菜とその一軍は制圧される。

菊地貞行は菊地が大友から奪い取った領地を還すことにする。将軍足利義輝が登場、大友の元所領の安堵を認める。

以下、チラシの表、裏をお借りする。