yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

「歌舞伎絵看板展 ─文明開化の音がする―」@逸翁美術館 2 月13日

マグノリアホールでのサロンコンサートに参加した後、隣接する逸翁美術館で、この展覧会を見た。予想を上回る絵看板の数。30枚を超えていた。芝居の場面、場面を、西洋絵画の遠近法に則った三次元的手法ではなく、日本画の手法で描いたもの。場面の描写の仕方が独特で、今の感覚からすると「えっ?」となるかもしれない。でも一旦視線をその二次元的(?)世界に同化させると、当時の人たちがどういう視点で歌舞伎を観ていたのかの一端が判ったようにも思えた。役者たちの顔も微妙に描き分けられていた。それ以上に役柄の特徴も一瞬でわかる。ただ、それらは西洋絵画のものとはまったく違ったリアリティを提供している。散切りものなので、すでに西洋絵画の手法は入って来ていたんだろうけど、舞台を観る人間の世界観は江戸の延長線上にあったに違いない。そういえば、南座の正面玄関に掲げられる絵看板も、これらの絵看板と同質の者だったことに思い当たった。

展覧会の解説が以下。

阪急文化財団所蔵の歌舞伎絵看板は、明治期の芝居町を華やかに彩った大型の肉筆画です。今回はその中から文明開化の兆しが見える作品を展示します。
明治時代になると、まず身につけるもの、建物、乗り物など、目に見えるものが西洋化されていきました。ちまたには和装だけれども、髷を結わない散切り頭、そこに山高帽をかぶってみたり、革靴、こうもり傘、懐中時計など、少しずつハイカラなものを身につける人が増えていきます。
歌舞伎でも「散切物」と呼ばれる作品が次々に上演され、新しい風俗が登場します。しかし、内容は決して新しいものではなく、現在では黙阿弥の作品などが上演されるのみとなっています。
本展では、上方の歌舞伎絵看板と、江戸の錦絵を中心に、明治期特有のハイカラな風俗が垣間見える作品を展示します。当時の日本人を大いに刺激した新感覚をお楽しみください。

■開催日時
2016年1月16日(土)〜3月6日(日)
午前10時〜午後5時(入館は午後4時30分まで)

【講演会】「明治の歌舞伎と散切物の風俗」
2016年2月20日(土)午後2時〜
講師:神山 彰 氏(明治大学教授)
会場:マグノリアホール(逸翁美術館内)
※聴講無料、要観覧券。午前10時より座席券配布(先着120名)

やっぱりいちばん興味深かったのは絵看板の芝居がいったいどんなものだったのか。ほとんどが上方もの、それも「中の小屋」でかけられたもの。黙阿弥を始め、当時の気鋭の劇作家が手がけたものなのだけど、現在上演されているものはほとんどない。シノプシス等は残っていても、完全な台本は残っていないのかもしれない。そういえばあの『伊達の十役』だって、先代猿之助が残っているささやかな情報に肉付けをし、創りあげたものだった。国立劇場の文芸部がずっと携わってきている歌舞伎の復活上演台本も、新しく補綴して作り上げたもの。そういう作業を、こういう絵看板をもとにしてもやっていただきたい。

もう一つ興味深かったのは、絵看板に描かれた当時の役者たちのほとんどの名跡が、中村福助、中村鴈治郎等2、3人を除いて今はないこと。上方の歌舞伎の家のほとんどは消えてしまったということだろうか。

20日の講演には出向くつもりなので、その折に展示されている芝居の題をすべて控えてこようかと考えている。