以下、松竹のMETサイトからの引用。
出演:アンナ・ネトレプコ(イオランタ)、ピョートル・ベチャワ(ヴォデモン伯爵)、アレクセイ・マルコフ(ロベルト)、イルヒン・アズィゾフ (エブン=ハキヤ)、イリヤ・バーニク(レネ王)
言語:ロシア語目が見えないことを知らずに育った王女に訪れた運命の出逢い!アンデルセンの童話に基づいたチャイコフスキー晩年の傑作オペラが、巨匠V・ゲルギエフ&歌姫A・ネトレプコのゴールデン・コンビで蘇る。侍女達の〈花の歌〉、運命の恋人達の出会いの二重唱〈神の創りたもうた最高の美女〉などロマンティックなメロディの数々は陶酔もの。全員が神に奇跡を感謝するラストでは、天上の大聖堂を思わせる清らかな音楽が全身を包む。
15世紀、南フランスの山中。プロヴァンスのレネ王は、王女イオランタが生まれながらの盲目であることを悲しみ、目が見えないことが彼女に分からないように山中の秘密の城で育てていた。頼みの医師は、イオランタ自ら盲目であることを理解しなければ治療は困難だという。イオランタの婚約者のブルゴーニュ公爵ロベルトと共に偶然城に入った騎士ヴォデモンは、イオランタの美しさに心を奪われるが、言葉を交わすうち彼女が盲目だと気づいてしまい・・・。
アンデルセンの童話がソースだというこのオペラ、フロイト、ラカンの精神分析がそのまま適用できるような内容。父によって「去勢」(盲目)にされていた王女イオランタが、「エディプスコンプレックスの女性版」たる絶対的父(国王)との一体化状態を抜け出て、ヴォデモン伯爵という新しい父」=対象へと向かうことで、大人になる(独り立ちする)物語と読める。
王女イオランタが暗闇(=盲目)界に幽閉された状態を象徴的に示しているのが鬱蒼と暗い森であり、その館である。はたまた、彼女の侍女たちが着る黒服である。そこに白い衣服に身を包んだプリンス・チャーミングがやってきて、彼女を暗闇の世界から救出する。この黒と白の対照が最も顕著に表現されているのが、最後のシーンの王女イオランタとヴォデモン伯爵の真っ白な婚礼衣装だろう。それにならって、侍女たち召使の衣装も白にかわっている。
演出家、トレリンコもこのオペラを「サイコロジカル・ドラマ」と言明している。おとぎ話にはこういう精神分析学的解釈の可能なものが多い。ただ、このオペラはそれがいかにもというくらい、ぴたりとはまる内容である。同時上演された『青ひげ公の城』にもそれはいえる。こちらはエレクトラ・コンプレックスになるかもしれないけど。
主演のネトレプコがすばらしかった。彼女はどちらかというと肉感的なので、無垢な王女には到底みえないだろうと観る前は思っていた。始まってしばらくもなにか違和感を感じていた。でも物語が進むにつれて、不思議なことにイノセントな王女そのものに見えてきた。歌唱力もすばらしかったけど、それ以上に演技力に脱帽した。高い声部のバリエーションが変幻自在。でも彼女のニンではどちらかというとカルメンの方が向いているのでは。肌も浅黒いし。でもそういうマイナス面を打消し、それを上回るだけのすばらしい歌唱と演技だった。彼女の他の作品も見てみたいと思った。
もう一人の主演、ヴォデモン伯爵を演じたピョートル・ベチャワもすばらしかった。でもアンナ・ネトレプコがあまりにも偉大なので、ちょっとくすんでしまうのは致し方ないのかもしれない。ロベルト役のアレクセイ・マルコフロベルト、こちらはバリトンの声が素敵だった。声量、表現力ともに圧倒的力だった。
レネ王のイリヤ・バーニクも心に襞を抱える父を説得力ある形に具現化していた。細見の体が内面の苦悩をよく表していた。それと森番をやった歌手(名前が分かりません)の声、低くて迫力があった。さすがMET、世界からトップクラスの歌手が「集合」しているのが良くわかる層の厚さだった。