yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

METライブビューイング オペラ『エフゲニー・オネーギン』@神戸国際松竹 5月25日 

明日で終わりというので、慌てて見にいった。世界トッププリマといわれているアンナ・ネトレプコの舞台。これでようやくネトレプコを映像ながらも見ることができた。以下が松竹のサイトからの本作品の演者と解説。

作曲:ピョートル・チャイコフスキー
指揮:ロビン・ティチアーティ 
演出:デボラ・ワーナー
出演:タチヤーナ=アンナ・ネトレプコ、オネーギン=ペーター・マッテイ、レンスキー=アレクセイ・ドルゴフ、オリガ=エレーナ・マクシモワ
上映時間:3時間41分(休憩2回)[ MET上演日 2017年4月22日 ]
言語:ロシア語

真実の愛に気づいた時、その人はすでに人妻だった…。
「愛のすれ違い」の悲劇をメランコリックな音楽で綴ってすべての人の共感を呼ぶチャイコフスキーの傑作オペラが、声・容姿・演技力すべてを備えたA・ネトレプコ & P・マッテイの夢の共演で実現!19世紀ロシアの情景を再現したD・ワーナーの美しい舞台で、二大スターが散らす恋の火花に、心から目から涙が溢れ出る。

俊英 R・ティチアーティの鮮烈な指揮、フレッシュな実力派揃いの共演陣も期待大。19世紀のロシア。田園地方の地主の娘タチヤーナは、読書好きのロマンティスト。活発な妹オリガには、レンスキーという婚約者がいた。レンスキーの友人で社交界の寵児オネーギンを紹介されたタチヤーナは一目で恋に落ち、夜を徹して恋文を書くが冷たくあしらわれる。田舎で疎外感を抱くオネーギンはレンスキーを挑発して決闘となり、彼を殺めてしまう。数年後、オネーギンはタチヤーナと再会。公爵に嫁いで社交界の華となった彼女に驚き、心を奪われるが…。

METのきらびやかな舞台映像を見ながら、さまざまな思いが頭を駆け巡った。まだ高校生の頃にプーシキンの原作を読んだのだけど、目の前に展開するのは、その頃のイメージとはまるで違った世界ではあった。ロマンティックな作品だと思い込んでいた。確かにロマンティックではあるのだろうけど、それはフランスやイギリスなどとは違っている。軽妙さに欠けるとでもいうのか、何か土着的なものを感じる。そこがやはりロシアなんだと思う。語弊があるのを承知でいえば、「泥くささ」のようなもの。オネーギンの「厭世」も、バーナード・ショーの『人と超人』の主人公のジャック・タナーのような徹底ぶりではない。だからこそ、(不覚にも)人妻になったタチヤーナにハマってしまうのだろう。

もう一つ強く私を打ったのが、この作品にはラカンの「「人間の欲望は他者の欲望である」が適用できること。タチヤーナが人妻になったから、オネーギンは彼女を欲望するわけである。彼自身が自身を客観化できないがゆえに、自縄自縛に陥ってしまっている。この客観性の零度こそ、ロマンティシズムなのかもしれない。でもこのロマンティシズムは麻薬的ではある。その中に溺れることは自己愛に溺れることでもあるから。

主演のネトレプコ。METファンのつれあいいが絶賛するだけのことはあり、素晴らしい美声。最近のオペラのプリマのほとんどがそうであるように、美貌。METで主演しているのも宜なるかな。演技力も際立っている。とはいうものの、私としては留保がついた。まず、第一幕。シャイで夢見がちな娘には見えなかった。加えて読書好きにはどの角度から見ても見えなかった。46歳という年齢もあるのかもしれない。でもやっぱり、あの体格が。カルメンなどを演じるには問題はないだろうけど、タチヤーナにはかなり無理がある。確かに声高らかに歌うアリアは絶品。彼女の声量と技量とで、難なく難しい箇所もクリア。深く、深く、あるいは高く、高く、そして激しく歌い上げる。時としては激しすぎるくらい。ただ、それは「陽」をアグレッシブに前に押し出すもの。陰影に乏しかった。グイグイ押し切られている感じ。いささか閉口した。私としてはタチヤーナを、ネトレプコ同様ロシア出身のオルガ・ペレチャッコ(37歳)に演じてもらいたい。

そもそもタチヤーナは妹のオリガと違い、陰影のある娘。繊細でナイーブで。でも深い。だから、何年も後に人妻となったタチアーナが、悩みつつもオネーギンを受け入れないのは当然のこと。それをネトレプコが演じると、エロティシズムの方が強烈ににおってきて、精神性の方がかき消えてしまう。叶えられない愛欲という側面も、もちろんこの作品にはある。でもそこが前面に打ち出されると、タチヤーナの拒絶の意味が薄まる気がする。彼女の身体から放出しているのは、(本人が意図しないにしても)エロティシズムだから。

オネーギン役のペーター・マッテイは役との一体感が素晴らしかった。バリトンの深くしみわたる声もいいけど、表現力が抜群だった。とくに第3幕で取り乱すところ。代役だったらしいけど、大成功だった。

レンスキーを演じたアレクセイ・ドルゴフは、コントーロルの効いた演技だった。オネーギンとの対比を強く印象付ける演じ方、歌い方。だからオネーギンとの決闘で無残な死を遂げたとき、大いに彼に同情が集まったはず。「あんな死に方をするなんて」という思いが観客にもあったのだろう、カーテンコールで登場した時、盛大な拍手に迎えられていた。

この舞台をオケで支えた指揮のロビン・ティチアーティが最高だった。初めて見る指揮者。34歳、若い。ロンドン生まれらしい。音が踊っていた。チャイコフスキーのロマンティシズムが、彼のみずみずしい感性によって、キラキラした旋律、リズムとなって解き放たれていた。機会があれば、ぜひ生演奏を聴きたいと思った。