yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

文楽『鬼一法眼三略巻』@国立文楽劇場10月29日昼の部

この演目、それも「菊畑」の段は歌舞伎で観たことがあるが、文楽では初めてである。歌舞伎でも文楽でもこのような通しで演ることは珍しいと思う。通しで観て、やっとこの源氏の再興にまつわる話の全体像が掴めた。

歌舞伎では「奥庭の段」とよぶ「菊畑」を観たのは平成5年11月、京都南座で、歌舞伎をみ始めた頃だった。鬼一が十三代仁座衛門さん(今の十五代のお父さま)で、あと当時の三代目雁治郎丈が共演したのを覚えていたので、ネットで検索をかけて、羽田澄子さんの記録映画、『歌舞伎役者 片岡仁左衛門』のサイトから以下の配役だったことが判明した。

鬼一法眼 仁左衛門
智恵内 我當
皆鶴姫 秀太郎
源牛若丸 雁治郎

羽田さんのこの映画はすばらしい映画で、2回もみたのに、この「奥庭」談義が入っていたことをすっかり忘れてしまっていた。情けない。南座での「奥庭の段」、とにかく菊畑がとてもきれいで華やかだったという強い印象が残っていた。松竹座はまだなかったので、そのころ南座がもっとも豪華な雰囲気をもつ劇場で、そこに菊畑の背景はとても映えていた。加えて、仁座衛門さんの押さえた演技、それにも関わらず他の役者をかすませてしまうほどの「高貴」な存在感が鬼一という人物にぴったりだった。

文楽は華やかさという点では、どうしても歌舞伎に負けてしまう。でも逆にこの『鬼一法眼三略巻』の全体の軸になっている鬼一と彼のもつ兵法の秘伝書『六韜三略』の虎の巻の重要性がはっきりと浮かび上がっていた。主題はもちろん牛若丸と弁慶の出会いであり、二人のそして源氏一族の平氏打倒の誓いなのだが、そこに副主題がいくつかのエピソードとして組み込まれているという構成になっている。

文楽では、それぞれ独立しつつも互いにリンクしあっている副主題が一つ一つ丁寧に語られることで、全体の奥行きが生まれ、またオーケストラのような複層的様相を呈することに成功していた。

各段の内容は以下のようになっている。
「鞍馬山の段」:牛若丸と天狗、僧正坊との出会いと、僧正坊から牛若への兵術奥義の伝授
「播州書写山の段」:稚児時代の鬼若丸(のちの弁慶)と平家を討とうとしている義兄鬼次郎との出会い
「清盛館の段」:かっては源氏に仕えていたが今は清盛を主とする鬼一法眼、その兵法秘伝を手に入れようとする清盛と鬼一の娘、皆鶴姫との間の攻防
「菊畑の段」:鬼一と彼に仕える智恵内(実は鬼次郎の弟、鬼三太)、奴虎蔵(実は牛若)の間の駆け引きと虎蔵と皆鶴姫の恋愛、さらには鬼一(彼こそ天狗、僧正坊だった)の自決
「五条橋の段」:牛若と弁慶の出会いと平家打倒の誓い

一番長丁場は「菊畑」で、咲大夫さんに三味線は燕三さんという組み合わせ。この場面のクライマックスは、鬼一が智恵内に虎蔵を折檻するように命じる場面だった。清盛館に皆鶴姫のお供で行った虎蔵が姫をおいて帰ってきたという理由だったのだが、智恵内は虎蔵を打てない。それをみて鬼一は二人が主従関係にあることを見抜いてしまう。これはまさにあの『勧進帳』で弁慶が義経を打ち据える場面を連想させるわけで、アリュージョンの手法が使われている。

私が一番楽しめたのは「播州書写山」で、ここでの鬼若丸のジャイアン(!)のようなやんちゃぶりがとてもおかしかった。母の胎内に7年もいたので、実際は13歳よりもはるかに図体の大きな子供が、亡くなった乳母に泣きすがるさまには、ほろっとするものがあった。これはまた『菅原伝授』の「寺子屋」を連想させる場面でもあった。ここでの奥語りは千歳大夫さん、三味線は(私の大好きな)富助さんだった。

「五条橋」は5人の大夫、同数の三味線の合奏だった。呂勢大夫さんが牛若で、相変わらず少し高めの朗々とした声が牛若の若々しさにぴったりだった。また三味線の音頭を取られた清治さんはいつもながら凛としていて雄々しい音で、ステキだった。