yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

義太夫『女殺油地獄』in 「にっぽんの芸能 芸能百花繚乱『義太夫の魅力』」NHK eテレ

この文楽公演は4月10日に国立文楽劇場で観て、このブログでも記事にしている。ただ、読み返してみるとあまりきっちりとは書いていない。観劇する場合、文楽公演はかなり体力がいる。たいていは大夫の床のすぐ傍に席をとるので、大夫さんの全身全霊を傾けての語りに身体ごと入り込むことが多く、かなり疲れてしまうから。大夫さんも相当に体力、気力を必要とするのが分かる。

今回この『百花繚乱』で放映してくれて、感謝している。改めて義太夫だけで聴き直すと、前に気づかなかったことも見えてきた。NHKのサイトでの番組紹介は以下のようになっている。その中の「衝動殺人」という解説には疑問符がつくけれど。

大阪から、文楽の音楽である義太夫の魅力をお届けする。今回は人形がない、太夫と三味線のみの演奏、いわゆる「素浄瑠璃」を紹介。演目は近松門左衛門の代表作「女殺油地獄」。若い男の衝動殺人を描いた物語は、現代社会でも通ずる普遍性を持った名作だ。出演は、文楽最高格の太夫“切場語り”の1人・豊竹咲大夫さんと、三味線の鶴澤燕三さん。咲大夫さんの話を交え、女優・南野陽子さんと古谷敏郎アナウンサーの司会で送る。

この狂言の節回し、近松のよく知られた狂言と違うように思っていた理由が、以下の咲大夫へのインタビュー記事から腑に落ちた。咲大夫はあの山城少掾の一の弟子だった綱大夫のご子息である。

今回、4月公演で私は「豊島屋油店の段」を勤めさせて頂きます。
この『女殺油地獄』は、享保6年に初演されてから、昭和27年に父の八世綱大夫と、十世竹澤弥七師匠が復活するまで230年もの間上演が絶えていました。その内容が凄惨であったことが最大の理由だと思います。
昭和37年4月、道頓堀文楽座で『女殺油地獄』が復活上演されます。この時父は病気で舞台に立てなかったので、床は掛け合いということになりました。しかし、近松門左衛門の詞章は字余り字足らずなので語りにくいのです。復活上演の際、「河内屋内の段」の切を相生大夫師が勤められましたが、やはり語りにくいということから、七五調に改められています。

本曲を復活させた折、豊竹山城少掾師が父と弥七師匠に「これはよく出来ている」と言ったそうです。陰惨な表現のところに、本来陽気な場面に使う節をつけるなど、随所に巧みなテクニックが散りばめられています。

近松の詞章自体にある「字余り」という不自然さが、音曲に反映してある種の「居心地悪さ」を醸し出していたのである。近松といえば例の『曾根崎心中』の道行き場面の流麗な七五調の語りを思いだす。そういう調子のよさはこの曲には感じられなかった。三味線の弥七がその「字余り」に曲を付けられたのだろうが、それはずいぶんと難儀な作業だったに違いない。先日NHK特集でみた番組中、杉本博司さんの(かなり無理な)注文を聞いて曲をつけた清治さんのご苦労にそれが重なった。

今日の義太夫は素浄瑠璃だったので人形が出ていなかった分、逆に語りが現出するビジュアルの強烈さに改めて近松の描写力の卓抜した筆力を思った。例えば、与兵衛のたのみで油をくんでいたお吉が、灯油に背後の与兵衛の刃の影が映ってはっとするところなど、ただただみごとだ。その場面の直前には「消ゆたる命の灯火は油量るも夢の間と、知らで升とり柄杓取る」という、近松常套の「死の予告」が入っているのである。

そしてハイライトはなんといってもお吉最期だろう。

『南無阿弥陀仏』と引き寄せて右手より左手の太腹へ、刺いてはえぐり抜いては斬る、お吉を迎いの冥途の夜風。煽ちに売場の火も消えて、庭も心も暗闇に打ち撒く油、踏みのめらかし踏み滑り、身内は血汐の赤面赤鬼、邪慳の角を振り立てて、お吉が身を裂く剣の山、目前油の地獄の苦しみ(以下略)

この凄惨な場面はあまりにもビジュアルである。ただ、それが美的であるというより、もっと人間臭いのが「お吉が身を裂く剣の山、目前油の地獄の苦しみ」という字余りによってよりリアルに観客に迫るという仕掛けである。上演が長らくなかったのは単に内容が残虐であるというだけではなく、このあまりにものリアリティにあったのではないかと想像させられる。

この不協和音が醸し出す生臭さ、理不尽さは先日みた(ブログ記事にもした)近松最晩年の『心中宵庚申』(1772年)にも通底したもので、まさにこの前年(1771年)に『女殺油地獄』は上演されている。晩年の2作品がそれまでの近松と違った形態を忍び込ませているというのは、彼のなにがしかの心境の変化を顕しているのだろうか。幕府は1774年に「心中もの」上演を一切禁止している。近松は1775年に没した。

もう一つ私が『心中宵庚申』との共通性を感じたのは、女性への近松の視線である。封建社会で一旦嫁げば婚家に従わなくてはならない女の運命に対する、近松の視線である。これはもちろん彼の心中ものにも共通してはいるのだが、この二つの作品には遊女でない女に焦点が合わさっている。そして色恋は扱っていないものの、それを感じさせてしまうところが、近松の複層的な詞章のなかに隠されているように思う。この作品の場合は与兵衛のお吉への色欲である。それを感じながらこの凄惨な「お吉最期」を聴くと、この場面もまた違った様相を呈してくるような気がする。