yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

にっぽんの芸能 芸能百花繚乱 舞踊「晒三番叟」NHK eテレ9月12日

今朝のは長唄舞踊で、それも女性三人(西川祐子、藤間恵都子、水木佑歌)による「晒三番叟」が核になっていた。「三番叟」は歌舞伎でもまた大衆演劇でもいろいろなものを観たけれど、女性の踊り手の舞踊は初めてで、とても新鮮だった。もう一瞥しただけでその姿形、そしてしなやかさから女性の踊り手と分かる。男性が踊るとかなり意識的に「女性」を演出するのだけれど、そういうのがほとんどない。逆にそれが余計な色気を排した清潔さを醸し出している。この三人はお姫様という設定のようで、それぞれが別個に個性を出しているようにも見えるし、あるいは一つの大きなまとまりのようにも見えて、そのバランスがちょうどよかった。

また、日本舞踊研究家の村尚也さんの解説も非常に分かりやすく、舞踊に対する興味をかき立てられるものだった。「学者然」としていないところがいい。以前にみた歌舞伎ソムリエのおくだ健太郎さんの『東海道四谷怪談』の解説と同種の親しみやすさ、親切さがあった。お二人とも専門に淫するというより(もちろん「オタク」だろうけど)、それを視聴者(他者)と共有するところに意義を感じておられるのがよく分かる。

解説の中心になっていたのが「晒布を使っての舞踊」だった。これがとても興味深かった。というのも、この3、4月に橘大五郎さんの劇団の舞踊でこの晒布を旗として使う集団舞踊をみたところだったから。美しく、幻想的ですばらしかった。しばらくその残影が頭から消えなかったほどだった。神秘的な感じがするのは布にはそういう力が宿っている(と信じられていた)からだというのは、村さんの解説。

この「晒三番叟」がその晒の旗を使う舞踊の先駆けだったという。二の宮が源氏の白旗をもっていたのを平家にみつかり、布を晒しているいると誤摩化したというのがこの白い晒布を持っての踊りの基のようである。だから当初は晒布1本で踊っていたところ、2本の方がより場面を引き立てるということで、2本が定着したという。その2本の晒布を使っての舞踊が2つ紹介された。一つは長唄「近江のお兼」で花柳寿美さんが踊られ、二つ目は「越後獅子」で染五郎さんの踊りだった。どちらも短い映像だったけれど、納得できた。

その晒のテーマ(布を晒すときの様子)は音楽にも取り入れられた。歌舞伎では「車引」の松王丸、梅王丸、桜丸の三人が舞台上で並び争うクライマックスに、あるいは舞踊「奴道成寺」では白拍子花子(実は狂言師升六)が鐘の上に乗るこれまたクライマックスシーンで鳴り響く。この音楽、リズムに特徴があり、たしかに何度も耳にしたことがある。

原型の「地唄晒」が元禄期に三味線、筝をとりこんだものになり、発展してきて今の形になっているという。そして、そのもっとも新しい形として紹介されたのが、あの!(以前に「芸能百花繚乱」で紹介された)筝の名人、中能島欣一さんが作曲されたという「箏曲“さらし幻想曲”」である。この演奏の映像は中能島欣一さんご自身が筝を、三味線、杵屋五三郎さん、そしてなんとフルートが入ってこれは芝祐靖さんでの合奏だった。日本の笛ではなくフルートであるところが、とてもモダン。合奏は和と洋の調和、弦楽器と管楽器との調和が絶妙だった。

晒布を使っての舞踊がずっと気になっていたので、ようやく腑に落ちた感じがする。金沢で友禅布を川で晒す情景が映し出されていたけれど、それが舞踊へと取り込まれ、そしてそれがテーマとなって散らばり発展したというのが(南野陽子さんのコメントではないけれど)、なにか日本文化の特徴の一つのような気もする。