yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

武智鉄二著『伝統演劇とは何なのか』

副題が「批評と創造のための対話」となっているように、歌舞伎、文楽、能といった伝統演劇の抱える問題への忌憚ない批評、批判であると同時に、それらの問題をどう解決するかの提案ともなっている。この書がユニークなのは、その作業を富岡多恵子との対話を通して試みた点である。

武智も富岡もいわば「異端児」で、その抜群の才能と歯に衣きせぬ批評で夙に有名である。それをオモシロイという人もいるが、ほとんどの人は煙たい、鬱陶しいと思うのではないか。その二人の対談なので、フツウの批評書や対談の中ではめったにお目にかかれない対談者間のぶつかり(confrontation) と、そこから生まれる緊張感と、そして何よりも二人が共振したときの開放感とで、他にはない魅力的な内容となっている。ちなみにこれは今は絶版になっている6巻からなる『定本武智歌舞伎』に収められている。この『武智歌舞伎』はめっぽう面白く、どのページをめくっても何かしら知的な好奇心をかき立てられる「武智節」が聞かれる。

武智と富岡の共通点は大阪生まれの大阪育ちという点である。武智鉄二は巷間ではもっぱらポルノ映画の先駆的作品『黒い雪』で知られているが、実際は伝統演劇の分野では自他ともに認める優れた論考を遺す評論家(彼自身はこのことばを好まなかったであろうが)でもある。武智も三島も「怪物」、それも歌舞伎に関して特にそうだった。

武智鉄二は三島由紀夫とは肝胆相照らす仲だった。『黒い雪』が裁判になったとき、三島は証人を引き受けたほどである。三島があのような死に方をしたことを、武智がどれほど口惜しがったかが、この全集のどこかに載っていた。

富岡多恵子は詩人であり作家でもあるが、世間ではどちらかというと故池田満寿夫元夫人として有名かもしれない。彼女の講演を聴いたことがあるが、とにかくヘビー大阪弁で、大真面目な話の内容(確かビジン・イングリッシュについてだったと記憶している)にもかかわらず、それよりも彼女の大阪弁のみ印象に残った。とてもエネルギッシュな面とどこか投げやりなと面とが同居しているような不思議なキャラの持ち主だった。

武智と富岡のもう一つの共通点は、大阪で生まれた文楽(浄瑠璃)の通であったことである。二人とも幼い頃から親や祖父母に手を引かれて文楽の公演に出かけていたという。富岡が武智にいろいろと聞きただすのだけれど、それが文楽の同好の士ならではの的確なもので、また武智の側もノっていかにも楽しげに答えている。

これは私が最初に出会った武智の著書である、なによりも「なんば」と「音遣い」という日本の伝統演劇特有のものを知るきっかけをつくってくれた本でもある。この二つを知らずして歌舞伎も文楽も能も語れない。だのに一般にはそれはあまり知られていない。私が知る範囲では、三浦雅士さんが「ダンスジャーナル』の編集をすることになったときに、「なんば」がについて言及されたことくらいだろうか。

この本の中で武智は痛烈に当時の(今もなんら変わっていないけど)歌舞伎のあり方を批判して次のようにいっている。

「歌舞伎はね、ある意味では天保時代に、もう存在価値を失っているんですね。わたしの考えでは。その時代から、創造的なエネルギーってものはなんにもなくなっているんですよ。形骸化が進んでいるわけですね。それが明治の近代化がありましたので、逆に救われているんじゃないですか。だけど内容としては、もう天保でだいたい滅びちゃったと考えていい。(中略)歌舞伎というものが、創造的エネルギーを失い、それから内面的なエネルギー、表現のエネルギーを失ったという時期は、かなりはっきりしていると思います。」

服部幸雄さんが、歌舞伎がかってもっていたパワーを亡くした時期を日本の近代化が進められたときだと結論しているのに対し、武智はそれよりももっと早く、天保時代から歌舞伎がその創始時のパワーを喪失していたと断言しているのである。しかもパワー喪失の原因を、都会化によって「なんば」がなくなってしまったことに求めているのだ。ちなみに「なんば」とは左(右)の足が前に出る時に左(右)の手を前に出して歩くことで、日本の舞踊はこの型になっている。昔の日本人はこういう風に歩いていたのだという。

こういう彼の自論の展開を、当時の人たちが真摯にうけとめることができなかったことは想像に難くない。あまりにも過激、あまりにも突拍子もないと却下されたはずである。

アメリカの大学院に入ると決めた時、どういう形であっても武智の著作を博士論文に組み込みたいと考えていた。しかしそれをするとなると、彼の論考のかなりのものを英語に直さないといけないわけで、結局頓挫してしまった。ところが後になって、カナダの大学の日本文学研究者が武智の著作を部分的ではあっても翻訳していることがわかった。またこの方は武智論を2本ばかり書いて出版していた。武智を理解する人が日本人ではなく海外の研究者だったというのが、「やっぱり」と思えたと同時にすこし寂しい気がした。

渡辺保さんは武智を高く評価していて、著書『舞台という神話』の中に武智へのオマージュが収められている。