yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

アメリカの大学の学期

4月といえばアメリカの大学生がそわそわするころである。1月から始まった春学期が修了するから。5月は卒業式で、そのあと長い夏休みに入る。そして9月に秋学期(新年度)が始まる。

ヨーロッパの大学はすこし違っているけど(10月に秋学期が始まる)ほぼ同じで、韓国、中国でも欧米型の学期編成である。日本の大学の学期とまったくずれているので、日本にいるととても困る。日本では4月から学期が始まるから。

文科省もこの点を変えてくれないと困る。6月から7月にかけてのアメリカの大学の夏学期に教えたいと思っても、日本では学期中なのでできない。また、長期にわたる研修等があっても参加できない。批評理論のワークショップが毎年コーネル大学で6月の一ヶ月間開かれているのに、一度も参加できたことがない。アメリカの大学院生だったときには時期的には参加できたけれど、提出しなくてはいけないペーパーを仕上げるのに忙しくそれどころではなかった。

日本の大学の夏休みである8月はアメリカではアカデミックな活動は完全に休止していて、新学期が始まる9月には研修も実施されるはずがない。

日本の大学で勤務していると、この学期の壁に阻まれ海外の動向を知る機会がきわめて狭められる。日本の大学教師たちはこれでも困っていないのだろうか。不思議である。

それでなくても日本では知的刺戟をうける機会が限定的な気がする。アメリカの大学のキャンパスで毎日のようにいくつも開かれていた(そして地域の人にもその一部が公開されていた)講演がなつかしい。若い研究者は日本のこういう現状を「当たり前」とせずに、日本に見切りをつけ、海外の大学院に入り直すか、向こうで職をみつけ、自分を磨いて欲しい。時間は待ってはくれないから。