yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

アメリカの景気回復

日本が「失われた20年」とかでもたもたし、そこにリーマンショックが重なって惨憺たるリセッションに苦しんでいる間に、アメリカの景気は着実に回復している。本来なら発信地のアメリカがもっとも被害が大きかったはずなのに、いざ蓋を開けてみると日本の惨状は他国の比ではない。政治の不毛がいかに深刻な影響を経済に与えるかのいい証左が日本の現状である。

今日二つのニュース記事が気になった。どちらもアメリカの景気回復を実際の数字で示している。CNNMoney(http://money.cnn.com/2011/03/04/news/economy/february_jobs_report/index.htm?hpt=T1)でもUSA Today(http://www.usatoday.com/money/economy/2011-03-04-jobs_N.htm?csp=34money&dlvrit=110940)ででも、いずれも具体的に数字をつかった記事内容になっている。そういやCNNの方はアメリカにいるときによくアクセスして株式の情報を得ていたっけ。

どれだけ新しい雇用が生み出されたかが景気回復を表す指標として用いられるのだが、2月のそれが192,000だったということと、失業率が8.9%に落ちたという発表はどちらも景気回復指数となっている。

アメリカがリーマンでやられたとき、日本の書店に行くと「アメリカ経済の終わり」だといって煽り立てる本が平積みされていたりしたが、私はそんなことがあるはずがないと思っていた。そういう本の著者の無知さが本当に腹立たしかった。アメリカを、アメリカ人を少しでも知っていたなら、いかに彼の国が革新的な場なのかが瞬時にして分かるから。あの自由の気風からGoogle、 iPhone、 iPadが生み出されたのが分かる。そしてそのどこまでも楽天的な前向きの姿勢がイノヴェイティヴな発明、発見を可能にするのだということが肌身で感じられる。

日本のこの窮屈な「みんなで沈めば怖くない」ってな「文化」とはアメリカは無縁である。成功した人に対する執拗な妬み、嫉みとも無縁である。こういう横並びを良しとする風潮、抜きん出た人をモグラたたきにして平然としている無神経さ、これらを変えない限り日本には明日はないと思う。これは確信であり、同時に絶望でもある。

そしてもってこの完璧主義。京大受験生が「カンニング」をしたということで、それの可能性を徹底的に封じ込める手段をこうじるというこの無傷主義。そして大した罪でもないカンニングを事大に扱う日本的ファッショ、これらすべてが日本の将来を暗示しているように思えてならない。政治の不毛もこういう土壌から出てきたものであり、自浄作用の欠けた同質社会でいずれ自滅するのではないかという予感に慄える。

そういう日本的社会と180度違うのがアメリカ社会である。多様性を尊重し、そこで生じる摩擦、軋轢を次の過程への必要不可欠なステップと考える社会は、いまのようなパラダイムシフトがおきている時にはめっぽう強い。その多様性、雑種性が適用力を育んできているから。

こういう社会がまともだと思い込まされて育ってきた人が心配だ。日本の価値観なんて、世界では通用しない。それを理解するには日本を出るしかないのに、日本の若者は臆病で外に出たがらない。こういう状況を変えることのできない自分にも嫌気がさしている。