yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

三島由紀夫作『サド侯爵夫人』

昨日書き忘れたので、別項としてしたためている。

たしか2000年11月に出た新潮の『三島由紀夫没後三十年』の特集号の中に戦後50年の演劇史の中で最も優れた作品を劇作家、それに劇評家が選んだ結果が載っていた。私自身がこの雑誌を持っていて、去年11月のブログにも書いているのに、今それが見つからない。本の整理をしなくてはならないのに、つい後回しになっている結果がこれである。

ネットで検索をかけると幸運なことにあるそれに言及したブログ(http://d.hatena.ne.jp/tougyou/20060422/p1)に行き当たった。このかたのブログ、文学、映画等広く文化に及んでいてとてもおもしろい。「そうそう!」と膝を打つ記事が満載である。とまれ、その記事から、先ほど言及した演劇史最も優れた作品を選ぶ企画が、実際には1994年12月、演劇批評誌「シアターアーツ」に掲載されたものと分かった。この方は戦後といわず日本演劇史上の最高傑作と『サド侯爵夫人』を評価しておられるが、全く同感である。

作品では『サド侯爵夫人』が、そして劇作家では三島由起夫が一位だった。

私にしてみれば当然の結果である。今後も三島を超える劇作家は出ないだろう。彼の生きざま、作品が一つの「事件」だったのであり、私たちは彼を劇作家としてもった幸運を慶ぶべきなのだ。世界最高峰の作家として紫式部をもったのと同様に。

『サド侯爵夫人』は日本演劇史上の「事件」である続けるだろう。『源氏物語』が文学史上そうであるように。

私が三島由起夫を博士論文のテーマにしたというと、多くの日本人研究者と称する大学人が「僕は三島が嫌いなんですよ」とイヤな顔をする。一応「そうですか」とはいうが、おなかの中で「それはあんたが凡庸だからだろ」といい返している。いわゆる日本的戦後民主主義にどっぷりと浸かった、正義漢づらした人には三島は永遠に理解できないだろうから。それはそれで仕方ない、"It's not my loss, yours."ということにつきる。大学人にはこういう手合いがなんと多いことか。これでいっぱしの「文化人」気取りだから、あきれてしまう。

ちなみに三島は「日本文学小史」というエッセイのなかで、源氏を「文化と物語の正午」と形容している。彼は源氏の巻中でももっとも耽美的な「花の宴」、「胡蝶」を彼にとっての傑作とした上で以下のように述懐する。

「この二つの物語は、十五年を隔てて相映じて、源氏の生涯におけるもっとも悩みのない快楽をそれぞれ語っている。源氏物語において、おそらく有名な『もののあはれ』の片鱗もない快楽が、花やかに、さかりの花のようにしんしんとして咲き誇っているのはこの二つの巻である。それらはほとんどアントワヌ・ワトオの絵を思わせるのだ。いずれの巻も『艶なる宴』に充ち、快楽は空中に漂って、いかなる帰結をも怖れずに、絶対の現在のなかを胡蝶のように羽搏いている」

最後の「快楽空中に漂って、いかなる帰結をも怖れずに、絶対の現在のなかを胡蝶のように羽搏いている」という下り、これはまさに三島の『サド侯爵夫人』にもそっくりそのまま当てはまるだろう。