三宮の書店でずっと気になっていた本を3冊手に入れた。どれも新書版である。最近は多少お堅い本でも新書になることが多い。佐々木俊尚著『キュレーションの時代』、小川浩著『Facebook超入門』、それと小林正弥著『サンデルの政治哲学』である。『Facebook超入門』は待ちきれずに西宮北口のマクドナルドで読み終えた。『キュレーションの時代』もかなり読んだ。そして、『サンデルの政治哲学』はまだこれからである。
ぱらぱらとスキムしてみて、サンデル教授が"What's the Right Thing to Do"(「これから正義の話をしよう」)で論じている内容の要点解説になっていることが分かった。それもとても懇切丁寧な。小林正弥さんご自身も所属している千葉大で学生相手にサンデルばりの対話式の授業を実践されているのをNHKの教育」番組でみたことがある。
同僚の哲学の先生とこの半年間、古今の西洋哲学者のそれぞれの思想を確認する読書会を英語でやってきている。先日ホッブス、そしてミルを終えたところである。英語でディスカッションをしたいという彼の希望で始めたのだけれど、おかげで、英国功利主義の片鱗をいささかかじることになった。
その功利主義をサンデル教授も取り上げている。ただもう一つピンと来ていなかったいくつかの点がこの本で多少明らかになった。それはサンデル教授の立つ思想がどういう布置なのかということである。専門が単なる哲学ではなく政治哲学なのだから、机上の理論で終わるのではなく、その実践が射程に入ってくるのは当然だろう。その場合彼自身の立場がはっきりしていないと、それが実践可能なものとして提出されたのかどうか、疑ってしまう。
彼自身の立場は「コミュニタリアニズム」ということになるようである。短くいえば「善性を涵養せよ」というのがその主張らしい。これは「リバタリアニズム」、「リベラリズム」を経て出てきた立場である。これらは社会学者の宮台真司さんのサイト(http://www.miyadai.com/index.php?itemid=875)からの借用。以下はそのサイトから抽出したTweetをまとめたもの。
リバタリアニズムとは人々に善性が宿るので、それ競合する政府の介入に絶対反対の立場。リベラリズムとは、人々が自由(機会の平等など)であるための条件を整えるべく政府が介入せよとの立場。
さらに言うと、リバタリアニズムは「善性を壞すな(国家懐疑)」なのに対し、コミュニタリアニズムは「善性を涵養せよ(パターナリズム)」であり、両方と対照的にリベラリズムは「善ではなく正」です。リバタリアニズム⇒リベラリズム⇒コミュニタリアニズムの歴史順です。
自由主義の言葉の使い方次第。リバタリアニズムは古典的自由主義です。「米国」リベラリズムは古典的自由主義でなく「自己決定のための国家介入」主義で、リバタリアニズムの対極。「欧州」リベラリズムは古典的自由主義と近縁 。古典的自由主義はアダム・スミスに瞭然ですが、市場の自由の前提として道徳感情の共有を置きます。これをまんま継承したのがミルです。『道徳感情論』⇒『国富論』という理路です。
いかがですか。少し理解しやすくなりませんか。宮台先生、ありがとうございます。これで、サンデル教授が「アファーマティブ・アクション」の項で主張していた主旨、それと、彼の学生への「説得」(つまりこれは涵養するための「教育」だったのですね)の意図がはっきりした。まだまだいい足りないが、更なる議論は別の機会に譲りたい。