yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

もうレジェンド!四大陸での羽生結弦選手の優美で華麗な演技

結果はわかっていたのだけど、午後7時にテレビの前に座った。ショートの中継を見逃しているので、これが今シーズン初めて見る羽生選手の演技。

陳腐な形容詞なんて無効化してしまう演技。「SPを挽回するのはさぞ大変だろう」なんていう予想をあなたはしていたでしょ?私も少しは心配だったけど、それは下世話な杞憂。そういう人の思惑やら予想やらをきれいさっぱりと退けてしまった超俗的とでもいうべき羽生結弦選手の演技。その超俗レベルがまさに神。彼の演技を見ていると、単に美しいとか優れているとかといった判断の基準が効かない。そういう現世基準を超えた何かを感じてしまう。まさに神が降りてきているんですよね。失敗も神が彼に課した試練なんです。次のステージに行くための。そうとしか思えないでしょ。あの演技を見れば。

誰も真似できない。真似しても笑い者になるだけ。あの高みを目指すのはおこがましいにもほどがあるって。「4回転を何回飛んだ」なんてのが技術点に大きく反映するから、彼は優勝を逃した。でも逃した方がいいですよ。逆説的だけど、逃したからこそ彼は「英雄」なんです。日本人はそういう人をこそ讃え愛おしむんです。それが日本の美学。

スケートも評点のつくスポーツである以上。ジャンプをいくつ飛んだか、何回点のものだったのかなんてのが得点を左右する。まあ、それは仕方ないでしょうね。でも羽生選手はその「縛り」があるからこそ、逆に萌えるんでしょうね。彼のあの負けず嫌いの姿勢にも、どこか古代の神のイメージ、例えるならヤマトタケルを重ねてしまう。これは以前にも書いたけど

他選手も頑張っていたので、彼と比較すると気の毒とは思うけど、羽生結弦は他選手とはステージが違うんです。「他選手を競争相手としている」というのが表向きのお題目。彼が4回転であれ3回転であれを何回飛ぼうが、そんなことはそうクルーシャルなことではない(ここ断言なのでピリオド)。彼自身が自分の考えている芸術度の高みにどこまで迫ることができたのか。それが最優先される課題。彼自身はそれを明確には意識していないかもしれないですけどね。

とはいえ、ここは浮世。しかも競うのが芸術の世界でなくスポーツの世界。当然ながら技術によって優劣が判断され、順位が決められる。羽生選手がストイックまでに練習にこだわるのはそれだからでしょうね。歌舞伎の玉三郎を思わせられる。どこまでもストイック。自分の身体を虐め抜く。それによって優れたテクニックを駆使できるようにする。彼らにとってはそこがスタート。こういうの。もう人間レベルを超越していますよ。でも、そこまで自分を追い込んで初めて、あの超絶的演技が可能になるんでしょうね。

羽生結弦選手以外の選手たちのフリーの演技、4回転ジャンプを何回決めようが凡庸。芸術度の高いバレエとは比肩できない(当然なんですけどね)。あくまでもフィギュアスケートというスポーツの枠に収まるレベル。羽生結弦選手の演技はまるで別次元のもの。芸術度の高さで優れたバレエダンサーを思わせる。技術以上の何か(あえていうならミューズの女神)を招来している点で。

今回彼の演技を見ていて、剣舞を連想した。また、殺陣の優美さにも似ていると感じた。(日本の)武芸の粋を表象する殺陣。その独舞のように思えた。しかもそれは能楽の舞とも共通しているんです。

羽生結弦選手の舞には「もののふ」の生き様が立ち上がってきている。そんな感慨を持った。ヤマトタケルといい、もののふといい、まさに日本の美を「人」という形で具現化したもの。羽生結弦選手の演技には、今までどんなジャンルの役者にも感じたことのない(日本の)美の粋を感じてしまう。

他選手の選曲はその点で決定的にミスっている。自身がどういう文化をバックにしているかを、どこから生まれてきたのかにもっと真剣に向き合った方がいいのでは?