yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

失望した新作能『紅天女』@京都観世会館 12月25日

今年見てきた能の中で、最も失望した舞台だった。漫画を能にすることに一体意義があるのかどうか、考えさせられた。たしかに歌舞伎では『ワンピース』が成功している。歌舞伎は大衆芸能だから、漫画と共通した根っこを持っている。だから、漫画の歌舞伎化はそう突飛な試みとはいえない。でも能は大衆芸能ではない。具現化するものが決定的に異なっている。能が目指すのはあくまでも形而上的なもの。人間存在の本質を問うもの。それが絶対者に対してであれ、他の人間集団に対してのものであれ、哲学的な問いを常に孕んでいる。

今回の『紅天女』はマンガ、『ガラスの仮面』そのものではなく、その通奏低音になっている一つのモチーフ、「紅天女」を能化する試みだったとか。でもモチーフそのものがマンガの土壌から生まれ出てきたものである以上、大衆的、マス的な要素を帯びてしまっている。大衆的な要素を帯びるということは、大衆の好みに合わせるということ。それはレベルが下とか上とかいうことではなく、最大公約数を意識せざるを得ないということである。芸術度の高さはプライオリティのトップには来ない。もちろん芸術云々をしなくても、歌舞伎、大衆演劇で凄まじく優れた舞台は何度も見てきている。でもそれは大衆性に目一杯淫した結果、砂漠に花が咲くように生み出されたもの。今回の「能」のように中途半端な立ち位置からは、中途半端な舞台しか産まれない。この中途半端さはこの作品作者と演出家の問題のような気がする。

宝塚歌劇の演出家、植田紳爾氏が脚本と演出も担当したとか。「やっぱり!」と思った。このイージーさはまさに宝塚。「地球環境問題」がなぜテーマなんですか?それをわざわざ「語り部」役の元タカラジェンヌ(?)の鳳翔大さんに語らせる必然がどこにあるんですか?そういうテーマがあるなら、「説教」(preaching)としてではなく、舞台そのものに「語らせる」べきでしょう?あまりにも安逸!うんざり!

これは京都観世会との方向性とはまるで異なった舞台のような気がした。それと、シテの梅若玄祥さん、私の大好きな演者ではあるのだけれどかなり動きに問題があるように思えた。これ言うのはきっとタブーなんでしょうが、やっぱり観客に不安を与えては良くない。観客といえば、普段の京都観世会館の常連さんは見かけず。美内すずえファンやタカラズカファンが多かった?普段の能舞台のそれとは違い、舞台と観客との関係にかなりの乖離があるように感じた。すべてひっくるめてこの舞台への正直な感想を言えば、「cheap and shallow」。夢幻能なんて、片腹痛い。

以下、演者。

プレトーク  西尾智子  美内すずえ

阿古夜・紅天女 梅若玄祥
仏師・一真 福王和幸

東の者 茂山七五三
西の者 茂山千三郎

朗読(月影千草) 鳳翔大

笛  竹市学
小鼓 成田達志
大鼓 山本哲也
太鼓 前川光範

地謡 味方團
   田茂井廣道
   角当直隆
   河村浩太郎
   川口晃平
   樹下千慧
   井上和幸
   河本望


後見 松山隆之
   山崎正

京都勢でお付き合いさせられた能楽師狂言、お囃子を含む)の方々がお気の毒。狂言でこの舞台はやっと持っていた感じ。小鼓、大鼓、太鼓の方々は素晴らしかった。   

何年か前の広島県廿日市の『紅天女』公演に付いていた概要が以下。

1975年以来、今なお連載が続く少女漫画の大ベストセラー「ガラスの仮面」。
女優をめざす主人公 北島マヤとライバル 姫川亜弓が競い合い成長していく
物語ですが、その中で至高の演劇、幻の名作として描かれるのが「紅天女」です。

2006年、国立能楽堂で初演され大評判の舞台となりました。このたびの広島県
廿日市市での公演は、中国・四国地方で初めての上演となります。漫画の作者 美内すずえの監修のもと、宝塚歌劇団植田紳爾が脚本を担当、 人間国宝 梅若玄祥梅若六郎)が主演・演出。また、劇中で別人格に姿を変える難役の仏師には注目のワキ方 福王和幸が扮します。

冒頭の朗読、夢幻能の中に突如として現在能が立ち現れる演出、また既視感(デジャブ)を覚えるような間狂言と、新作能ならではの見どころもいっぱいです。
漫画では「紅天女」の結末がいまだ語られていませんので、能楽ファンのみならず少女漫画ファンも必見の舞台です。戦乱の世にくりひろげられる梅の精と仏師の恋の物語に、自然との共生、平和への祈りを込めた天女の舞。戦後70年の年にふさわしいものでしょう。

少女漫画の血をうけて、能の歴史に新たな一頁を刻んだ舞台をぜひご覧ください。

<ものがたり>
語られてきた伝説がありました。
かつて、戦乱と天変地異で世が乱れたとき、一真(いっしん)という仏師が、千年を経た梅の霊木から輝ける天女像を彫り、世の乱れを鎮めたというのです。
時を経て、再び世を災いが覆ったとき、一人の仏師がその幻の天女の像を求めて旅に出ます。

仏師は何かに導かれるようにして紅谷(くれないだに)という里に迷い込みますが、そこはかつて梅の木の化身・阿古夜(あこや)と仏師・一真が出会い、恋をして別れた場所でした。

そこへ現れた里の女は、阿古夜の生まれ変わりでしょうか。旅の仏師もまた一真となって物語に入り込んでしまいます。世に平安をもたらすため、千年の梅の木を伐って天女の像を作ろうとする一真。しかし、梅の木を伐ることは、その化身である阿古夜の命を奪う事でした。再び繰り返される葛藤に、一真と阿古夜は責め苛まれます。しかし、世を救う紅天女を呼び出すには、この苦しみを越えなければならなかったのです。

上の概説の文章そのものがきちんとした日本語になっていない。ヘンテコリン。こういう文を読むとイライラする。それと公演を仕切った「ダンスウエスト」にもうんざり(今までに何度も遭遇しています)。この集団が主催する「東方神起」公演をはじめとする山ほどのチラシをもらったけれど、河原町駅でゴミ箱行きに。今後、「ダンスウエスト」が関係する公演は能であろうがその他のものであろうがスキップすることに決めた。

マネジメントのまずさでいえば、プレトーク然り。漫画原作者美内すずえ氏のマイクがオンになっていなくて、後方席に座っていた私にはほとんど聞き取れなかったこと。司会の西尾智子氏はきちんと気を効かせるべきでしょう。横に座った方は美内すずえ氏のファンらしく、憤慨しておられた。

これで今年の観劇は終了。最後がマズかったのが残念。来年がより実りのある年であることを祈るのみ。