昼の部の最後の演目。舞台が奈落の底のように見える三階席最後列からの鑑賞。見難いことは見難いのではあるけれど、「幻想の世界を見ている感」はという点では一階席で見るよりより高くなる。と、ちょっと負け惜しみ。たしかに夢世界的劇空間を出現させる演出は効いていた。
演者は二人。
椀屋久兵衛 = 片岡仁左衛門(15代目)
松山太夫 = 片岡孝太郎(初代)
曲の解説を『ブリタニカ国際大百科事典』からお借りする。
歌舞伎舞踊曲。長唄。本名題『其面影 (そのおもかげ) 二人椀久』。作詞者不詳,作曲1世錦屋金蔵。安永3 (1774) 年江戸市村座で,9世市村羽左衛門と瀬川富三郎 (3世瀬川菊之丞) により初演。8世羽左衛門 13回忌追善の演目ともいわれる。椀久物の一つ。傾城松山恋しさに狂乱した椀久が,松山の幻影とありし日を思い浮べて楽しく踊り興じるというもの。椀久の羽織を着た松山が椀久と連れ舞をするさまを「2人の椀久」に見立てたもので,8世,9世羽左衛門の関係を生かしている。二上りから三下りと転調。能『井筒』のクセを取入れた唄や,後半の廓情緒を三味線と大鼓小鼓で演奏する部分 (タマ) など技巧を凝らした曲で,踊り地に太鼓の入らないのも特徴。
この解説で唄に能『井筒』を採り入れていることが分かった。でも『井筒』というより、内容的には、シテ、松風が行平形見の烏帽子と狩衣をまとい舞う『松風』に近い。ことほど左様に、能のアリュージョンが随所に見られた。それを煽るのがお囃子方。上の解説にもあるように、大鼓、小鼓、そして三味線が合奏する部分が非常に効いていて、能との近さを否が応でも感じてしまう。
椀久、松山太夫の舞踊は所作が多い。それらはまるで能のものとは違った日舞の所作。しかし、ここかしこに能が透けて見える感じがした。能とダブるイメージが喚起される。能目線で見てしまうと、いささか不満が残る。こういう能を強く想起させる舞踊は、どう鑑賞したらいいんでしょうか。
ともあれ、仁左衛門の美しく踊る姿は感動的だったし、孝太郎も仁左衛門に合わせて遊女の儚さを出す踊りを瑕疵なく務めていた。でも、仁左衛門と玉三郎、お二人が元気なうちに、二人の「二人椀久」を見たいという思う気持ちもどこかにあった。