「歌舞伎美人」から「みどころ」をお借りする。
恋人の面影を追い、春の野をさまよう
桜と菜の花に彩られた春。野辺をさまよい歩くのは、恋人が自害したことを嘆き、正気を失った保名。亡き恋人の姿を追い求めますが、現実に引き戻され、形見の小袖を狂おしく抱きしめて悲しみにくれるのでした。
愛する人を失った悲しみを、清元の名曲に乗せて表現する人気舞踊をご堪能ください。
私が見たのがBプロだったのでこの『保名』。Aプロの方は梅枝と児太郎が二人で踊る舞踊劇「村松風二人汐汲」(松風)になっている。能の『松風』を題材とするAプロの「松風」も見たかったけれど、またの機会があるだろう。
玉三郎自身が「Spice」のインタビューに応える形でこの舞踊劇のキモを解説している。
保名は、いきなり長袴で登場します。そして何かが解決するわけでもありません。抽象的でありながら、とても古典的。物語の前後が切れていても心情で完結します。歌舞伎の名作には、このような独特なところがありますね。
これも舞踊劇の「二人椀久」とも似ているのだけれど、あちらの方はまだ恋人が夢に出てくるという設定で「説得力」があるものの、保名の方では恋人の登場はなく、もっと漠然としている。元にあるのはもちろん「葛の葉の子別れ」だから、ひょっとしたら保名が追い求めているのは葛の葉?でもはっきりしない。そこで取り出した「筋書」。そういえばいつもあまり見ていない。チェックするのは演奏者のみということが多い。以下がその解説。
平安の世。朱雀帝に仕える天文学者の保名は、師である博士加茂保憲の養女榊の前と恋を下が、祝言を前にして榊の前はあえない最期を遂げてしまった。榊の前の突然の死を悲しむあまり、保名は発狂してしまい、形見の小袖を肩に彷徨い歩く毎日。
だからあの装束なのだと、納得。それにしても玉三郎の保名の美しいこと。浄瑠璃と三味線、小鼓が彩るだけの抽象的な舞台。詞章をよく聞いても、夢の次第を説いているだけのような訳のわからなさ。現なのか、それとも幻想なのか判断がつかないまま、あえなく終わってしまう。玉三郎がいうように「心情で解決」するのかもしれない。全体が「保名の嘆き」という心象だけを描いているのだろう。
「音楽」担当者の方々が以下。
浄瑠璃 清元清美太夫、清元一太夫、清元國恵太夫、清元瓢太夫
三味線 清元志寿造、清元雄二朗、清元斎寿、清元志一朗、清元美一郎
小鼓 田中傳左衛門
時折入る小鼓が音楽全体を引き締めていた。