yoshiepen’s journal

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梅若実師の復曲能『大般若』in「古典芸能への招待『四世梅若実 芸の魅力』」NHK Eテレ5月27日

 

番組紹介

「人間国宝・梅若玄祥が、今年2月に能楽界にとって重要な名跡、梅若実を四世として襲名。歴代の「実」の足跡をたどると共に、四世実の芸の魅力に迫る」というのが番組紹介。この番組中、今年3月に国立能楽堂で収録された『大般若』が放映された。「四世実が復活させた、シルクロードを舞台にしたスペクタクルな能」だという。

番組ではまず、今年の3月25日、観世能楽堂で録画された「舞囃子“梅と橘”」(山本東次郎:作詞 梅若実ほか:作曲)が放映された。これについては別稿にしたい。お二人の人間国宝。さすがの舞台だった。この後、四世梅若実襲名記念披露としての復曲能『大般若』が放映された。これはこの放送のためだけに国立能楽堂で収録されたらしい。二つの演目の間に、梅若実師へのインタビューがあり、とても興味深かった。人間国宝に向かって失礼なんですが、実に可愛い方だった。来月2日には京都観世会館で「梅若実秋名公演」を観ることになっている。楽しみ。

『大般若』概要

『大般若』をひとことで言うなら、「玄奘三蔵の唐から天竺にかけての経典普及の大旅行を描いたもの」となる。玄奘三蔵の旅がフィクションとして発展して、伝奇小説となったのが『西遊記』。能ではこれとは違った切り口で玄奘三蔵の旅を描く。

復曲能『大般若』の内容については、梅若能楽学院会館のサイト(exblog)の解説文を参照させていただいた。以下。

三蔵法師が大般若経を伝来しようと天竺へ向かう途中、西域の流砂河に差し掛かると、怪しい男が現れて語る。この河は千尋の難所であり、その向こう岸にそびえる葱嶺も険しく、まず超えることは困難であると。男はさらにこの河の主は深沙大王といい、姿かたちは恐ろしい怪物であるが、心では仏法を敬っていると物語り、実は三蔵は前世でも大般若経を得ようと志していたが、七度までこの地で命を落としてきたのだと語る。実は自分こそ深沙であり、志を試すために今までは命をとっていたが、今度こそ経を与えようと言って姿を消す。三蔵が待っていると菩薩が現れて舞楽を奏し、大竜、小竜が三蔵を拝する中に大般若経の笈を背負った深沙大王が現れる。笈を開いて三蔵とともに経文を読み上げ、この経の守護神になろうと約束すると笈を与える。三蔵は喜び笈を背負って流砂に向かうと河は二つに割れ、三蔵はやすやすと渡り深沙大王は見送る。

『大般若』の演者

演者一覧は以下。

前シテ(化身)     梅若実

後シテ(深沙大王)   梅若実

ツレ(龍神)      鈴木啓吾

ツレ(龍神)      川口晃平

ツレ(飛天)      松山隆之

ツレ(飛天)      坂真太郎

ワキ(三蔵法師)    宝生欣哉

アイ(ムカデ)     茂山茂  

アイ(尺取虫)     島田洋海

アイ(ミミズ)     丸石やすし

 

笛           藤田六郎兵衛

小鼓          鵜澤洋太郎

大鼓          柿原弘和

太鼓          小寺真佐人

 

後見          梅若長左衛門 梅若紀彰

 

地謡          山崎正道 馬野正基 角当直隆 内藤幸雄

            永島充 佐久間二郎 梅若雄一郎 山中景晶 

梅若実師の深沙大王

梅若実師、最近見た折に足元が心配だったのだけれど、この録画では問題がないようで安心した。特に前場で幕内へ走り入るところ、また後場で幕を出てくるところはさすがの美しい足さばきだった。後場の舞部分も雄壮と言う感じではなかったものの、付けられた般若面にふさわしい硬質の舞いで、深沙大王(「西遊記」では沙悟浄)然としておられた。この面は梅若家所蔵の古いものということで、素晴らしかった。

 

他の演者さんたち

梅若といえば謡の優雅さ、繊細さを嚆矢とするけれど、実師の謡は見事の一言に尽きる。嫋嫋としているのに、弱くなく、どこまでも情の深さが滲み出ている。波に乗って浮遊する感じが、病みつきになる。今回(観世流としてでなく)梅若流の地謡を初めて聞いたのだけれど、この嫋嫋としているのに芯がしっかりある感じはやはり存在していた。

 

飛天のお二方、松山隆之師と坂真太郎師がツレ回れるのは優雅そのもので、『二人静』を思い出した。龍神の鈴木啓吾師と川口晃平師はおそらくお若いのだろう。所作に勢いがあり、動きもシャープだった。飛天と好対照で、この静と動との対比も面白かった。天女、龍神と多彩な人物が登場するのは以前に見た味方玄師シテの『白髭』を思わせた。スペクタクル度の高さでは匹敵するのでは?

 

また、アイの三人(?)の虫たちがなんともおかしかった。京都の茂山ファミリーの方々。尺取虫の茂山茂師はいかにもニン。島田師も丸石師も水を得た魚のように生き生き演じておられた。虫たちの工夫も、復曲能の大きな魅力だった。

 

さらに嬉しかったのは、藤田六郎兵衛さんの笛を聞けたこと、それを録画できたこと。先日の「片山九郎右衛門後援会能公演」の『龍田』でも演奏されていたけれど、体調がよろしくないのではと、心配になった。この録画は数ヶ月前で、お元気そう。もちろん体調のよしあしに拘らず、彼の演奏は一級品ではあるのですが。

 

 

復曲能の難しさ

復曲能上演の際、詞章がある程度残っていても曲は残っていないので、新曲を創りあげるのと同じなんだとか。『大般若』の復曲には膨大、かつ複雑な作業を要したことだと推察する。でも能であることの「利点」、「特典」を使えるのではないだろうか。つまり能のすでに在る曲からモチーフ、断片を採用、それらを組み合わせることができるから。もちろん美的なコラージュとして成立させるには、芸術的センスが不可欠ではあるけれど。この『大般若』はそれが見事に結実したものといえるだろう。

 

復曲経緯

復曲の経緯についても梅若能楽学院会館のサイトを参照させていただく。

昭和58年復曲。深沙大王とはこの苦行の旅の中で三蔵自らが感得した仏法の守り神で、般若経と共に中国に伝わり、日本でも多くの寺院が深沙大王を守護神として祭った。その姿を竜神としたのは、当時の日本人が中国西域に横たわる砂漠の流砂を大河と解したためで、深沙が転じて真蛇と表記されることが多い。つまり能面の「真蛇」は大般若専用面であったという説が成り立つ。「般若」の面をさらに激しい表情に改作したのが「真蛇」なのではなくて、「真蛇」を参考に鬼女の顔立ちを創作したのが「般若」であると言える。それが「大般若」の演能が退転した五百数十年の間にわからなくなった。本日大般若の後シテに使われる梅若家蔵の真蛇の面も、古態を残した室町期の名品である。また深沙大王は三蔵法師の旅を小説化した「西遊記」においては沙悟浄となってあらわれる。沙悟浄(深沙大王)が首から提げている七つの髑髏は、三蔵の前世において七度命を奪った際のものであり、八度目に至って守護神となる証しである。また、深沙大王信仰が日本でも盛んだったことは、東京都調布市の深大寺という寺があることからもわかる。天平年間創建の関東でも有数の古刹である深大寺は、まさに深(沙)大(王)寺であり、秘仏深沙大王像を祭っている。

 『大般若』の詞章

さらに、松山隆之師のサイトに詞章がアップされているので、リンクさせていただく。

Eテレ放送「大般若」詞章 | 松山隆之 日々是能日