お富と藤八の絡みがコミック・リリーフになっている二幕目。藤八を誰が演じるかが重要なのだけれど、ここでは坂東弥五郎。若いお富に言い寄るには、ちょっと歳をとりすぎで、亀蔵の藤八には敵わない感がある。
次に身を持ち崩した与三郎が、蝙蝠安を伴ってお富を強請る場へと移行するのだけれど、菊五郎の若さが先ほどの藤八との対比になっている。与三郎=菊五郎は頰被りをしていても、美貌は際立っている。
そこから、「お主ゃぁ、おれを見忘れたか」で頰被りを取っ払っての与三郎の見得になる。あまりにものハマり感は、コミカルでさえある。今までに実舞台で見てきたどの役者の与三郎より、はるかに「与三郎」。色気、だだ漏れ状態。
あの「しがねぇ恋の情けが仇」で始まる長セリフの表情も、その大仰さがすべて計算づくの手練れさ。目の動き、手の所作、声の調子、間の取り方、これ以上ないほど、「与三郎」。思わず笑ってしまったほどぴったり。この与三郎が「元型」になったとすれば、後に続いた役者たちがこれを超えるのは難しかっただろう。ちょっと彼らに同情すらしてしまう。
これを受けてのお富、ただただ打ちしおれうなだれる様なのだけれど、おそらく今の玉三郎だったらこうは演じないだろう。単に「申し訳ない」ということではなく、未だに与三郎への情が残っているのを、何かの形で表したのでは?あまりにも伝統の型に則った演じ方。だから「硬い」感じがする。菊五郎の色気と対等に勝負できていない。玉三郎にもこういう頃があったのですね。「色めいたことは少しもなく」というお富に対して、一方の与三郎が取る態度が、あまりにも自然でまるで現代調。菊五郎の天才ぶりがよくわかる。
その後の多左衛門との対面では、三人三様の演技で魅せる。多左衛門役の三代目河原崎権十郎はこのとき60歳、さすがに重みがあり、うまい。声がいなせである。彼のおかげで、菊五郎、玉三郎の「若さ」が際立つ。恋の恨みにどっぷりとはまり込んでいる与三郎、消え入りたいまでに己を恥じるお富との間の駆け引き、それがやっぱり「青臭い」感じがしてしまうのは、世間を知った多左衛門が加わるからである。今まで見てきた中で、このお三方のものがもっとも説得力があるように思う。
そして蝙蝠安の坂東簑助(のちの七代目坂東三津五郎)。巳之助のおじいさま、故三津五郎のお父上。蝙蝠安には少々品が良すぎたかも。今の巳之助が演じた方が、きっとぴったりだろう。花道での与三郎との駆け引きも、もっと卑しさを前面に出した方が、蝙蝠安の感じだった?
とはいうものの、三津五郎と菊五郎との、そして玉三郎、権十郎という音羽屋一門総出、総力を挙げてのこの舞台、歌舞伎史に残るものだったに違いない。