yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

菊五郎・玉三郎の『与話情浮名横櫛』中、「木更津海辺の場(見染め)」と「源左衛門別荘の場」@サンシャイン劇場 1978年12月

なんとあのNHKが、自らのアーカイブから歌舞伎録画の大盤振る舞い?YouTubeにこの42年前の舞台映像がアップされている。今回の武漢コロナ禍で「巣ごもり」を余儀なくされている人たちへのサービスだろう。サイトをリンクしておく。

当時の旬の名優二人のこれ以上ないほどの組み合わせ。いずれもが水も滴るような美貌を誇示している。菊五郎は37歳、玉三郎が29歳である。若手でいながらすでに芸歴をしっかり積んでいる、しかも、生まれ持っての美しさと色気で、一世を風靡している。そんな二人である。

菊五郎、まだ女方の名残りのあるやや高めの声調で、現在の菊之助のそれとそっくり。美貌では息子をしのいでいる?余談だけれど、私が歌舞伎を身始めた1992年頃、すでに菊五郎は体重を増やし、美形という感じではなかった(失礼!)。『髪結新三』なんて、すごい役者だとはわかったのですけれどね。だから、たまたまテレビにかかっていた『半七捕物帳』のいなせさと、かっこよさ、何よりも惚れ惚れするような美貌に仰天した。その演技の精緻さにも驚いた。大写し画面は歌舞伎の舞台とは真逆であり、違った工夫が要るはず。それをなんなくこなしている、その自己演出力の強靭さにも、感服してしまった。速攻で『半七捕物帳』DVD全巻を買い揃え、毎日食い入るように観入っていた。

閑話休題。

まず「見染め」での風情が素晴らしい。所作に女っぽさのある優男なのに、どこか投げやりな、やくざっぽさを出している。これがのちにあの切られ与三のやくざぶり、崩れぶりに繋がるんですよね。客席を歩きまわるという演出も、この頃にすでにあったんですね。劇場そのものが歌舞伎専用小屋ではないので、こういう演出も可能なのだろう。

玉三郎も美貌。でもどちらかというと、現在の彼の方が美しい。彼はある意味「おばけ」なんですよね。今の歳でありえない美しさの点で。所作も日舞が身体に入り込んだ今の方が美しいと感じる。もちろん三島由紀夫が目をつけた(それまでの歌舞伎女方にはないタイプの)美しさではあるけれど。そういえば、ずっと以前の『椿説弓張月』でも、昔のものより最近のものの方がよかったことを、思い出した。

「見染め」の場で、お富を見送る与三郎のサマがいかにも惚けた感じ。こういう過剰なまでのナマ感情の表現、リアリティの建て方は、やっぱり現代劇のものだろう。それにしても、この菊五郎はどちらのアングルから見ても、実に艶っぽい。そして、その艶っぽさが一層際立って見えるのは、この出会いをきっかけに、彼が底なし沼に堕ちてゆくことを観客が知っているからでもある。

次の「源左衛門別荘の場」では、この二人の初々しさが、なんとも好ましい。西洋劇とは無縁の「秘めた思い」の駆け引きに、そのセンシュアリティに、溺れてしまいそうになる。二人が小部屋に引っ込むところで、玉三郎が与三郎の脱ぎ捨てた羽織を頬に当てる場面など、色っぽさと同時に切なささえ感じさせる。

そこにお富の主人、源左衛門が帰宅。艶っぽい雰囲気は一変する。寝間着姿の二人、もうなすすべもない。源左衛門になされるがままになる。場面には出てこないけれど(次の場で一体源左衛門が二人に何をしたかがわかる)、二人はその身体に、その心に、消しきれない傷を刻み付けられたのである。

次の場は単独でもしばしば演じられる場。ということで、続きは次の稿とする。

以下に配役をリストしておく。すでに鬼籍に入られた方が多く、感慨深い。

与三郎 = 尾上菊五郎(7代目)

お富 = 坂東玉三郎(5代目)

鼈甲屋金五郎 = 尾上菊蔵(6代目)

作蔵 = 片岡十蔵(6代目)

赤間源左衛門 = 片岡市蔵(5代目)

蝙蝠安 = 坂東簑助(7代目)

多左衛門 = 河原崎権十郎(4代目)

噺家五行亭相生 = 尾上菊十郎(4代目)

伊八 = 尾上多賀蔵(3代目)

茂助 = 尾上新七(5代目)

おとら = 市川福之助(3代目)

藤八 = 坂東弥五郎(2代目)

眼八 = 坂東三津三郎(初代)

およし = 坂東田門(3代目)

海松抗松五郎 = 山崎権一(初代)

源次 = 坂東太郎(4代目)

竹蔵 = 嵐橘三郎(6代目)

お岸 = 佳秀、お丸

赤間の子分 = 市松・みの虫・三平

黒戸の子分 = 音吉・錦一・調一郎

丁稚三太 = 尾上尾登丸

浜の娘 = 弥吉・梅之助・守若

下女およし = 坂東田門(3代目)

下男権助 = 尾上梅十郎(2代目)

浜の子・丁稚三吉 = 山本雅晴