yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

三代目同士(同志)の「和解」を描いた『紺血』劇団荒城正月公演@篠原演芸場 1月2日夜の部

映画、浪曲では有名な清水次郎長。旅芝居(大衆演劇)で頻繁に彼を主人公にした芝居を観るまで、ほとんど知らなかった。ましてや次郎長にまつわる(史実、フィクション取り混ぜた)人物群については全く知識がなかった。だから個別名が出てくるたびに慌ててネットで検索をかけ、なんとなく関連人物がリンクしてきている?まだまだ、アンチョコは必要ではあるけれど。

荒城真吾座長には次郎長への強い思い入れがおありなのは、昨年10月の浅草木馬館公演の演目のいくつかが「次郎長外伝」とでもいうべきものだったことで、わかった。繰り返し、繰り返し、ストーリー、登場人物に次郎長をモチーフとして利用する。そこに一本通っている(通している)のは次郎長が表象している(であろう)侠客の仁というか「誠」精神だろう。いわば超ド級の男世界のシンボルとして次郎長を描ききるというのが、真吾座長の目指したものだと感じた。そこには女性が入りこむ余地がない。すべて男による、男のための物語が展開する。彼のカリスマ性がなかったら、私など「へっ、そう」として従来は片付けてしまっていた世界。でもここまで徹底すると、これは美学なんですよね。女の私でも同一化はできないものの、「すごい!」って降参です。

そして、この『紺血』である。「紺」はおそらくは次郎長一家の色。もちろん「混血」をかけている。こういう言葉遊びが秀逸な真吾座長。もちろん全体はあくまでもフィクション。事実に基づいてはいない。お芝居の筋をアップするのはご法度なので、人物関係、プロットの骨子のを。

ヤクザを嫌って家を出ていたが返ってくる。父親が対抗する組の長に殺されたから。ということでおなじみのヤクザ間の抗争。

 次郎長の孫であり清水一家三代目長一郎(勘太郎)と清水一家と対抗する黒駒勝蔵の孫の勝三(祐馬)との間の熾烈な闘い。それが最後には「和解」するオチ。ただ終盤まで勝三が黒駒勝蔵の孫だとは明かされない。ここ、「実は…」の世界。そしてさらなるオチが勝三一家の代貸の政夫(真吾)が実は大政の孫だったというもの。それぞれの主要人物が祖父の遺髪を継いでいるわけ。

この図式に「劇団荒城」の三代にわたる人物が重ねられているように感じた。そもそもこのお芝居は昨年12月20日の勘太郎さんのお誕生日公演のため真吾座長が書き下ろしたものだとか。劇中で真吾座長が「初代はえらかったけれど、親父はクズだった」と言い放つ場面があり、かなりドキッとした。親子の血縁の逃れようのない濃さとそれゆえの重さが伝わってきたから。

さらには、次の代を継ぐ長男勘太郎さんへの背中押しと彼への期待の念が伝わってきた。勘太郎さん自身、自分が次を継ぐことにはおそらく迷いがあったのでは。他の道を選びたいという。非常に頭が良く才能のある方なので、迷いは当然。でも、「継いで欲しい」という父、真吾座長の抑えきれない想いが、こちらにひしひしと伝わってきて、ジンとした。旅役者としての矜持もズシンときた。おそらくその場にいた人は、その想いを共有していたと思う。決して良い条件とはいえない環境で毎日芝居を打っていく厳しい旅芝居の世界。その図が浮かんできて、ホロリともした。でもそんな感傷を許さない、すごさを持つ真吾座長だった。勘太郎さんも、しっかり応えておられた。 

そうそう、舞台も木馬の時と同じく、斬新そのもの。アングラ劇に近いシンプルさだった。幕前での場面で前後の場をつなぐのも同じ。内容、そして何よりもことばで勝負!というのが、伝わる舞台だった。荒城節、健在。

以下に劇団サイトにアップされていた演目予定表をあげておく。

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