なんと鬼女(前場では上臈)がゾロゾロ五人も登場する。シテ(前場では上臈の長、後場では鬼女神)の林宗一郎師を入れると六人が舞台をところ狭しと舞い回る。実に壮観。中心にはもちろん宗一郎師。お若い。鬼女たちも若い演者であるのが、なんとなくわかる。ちょっとずれていたりするのも、ご愛嬌。ほんわかする。鬼ものなのに、「可愛い!」を心の中で連発しながら観ていた。お囃子も若手揃い。とくに太鼓の前川光範師と笛の杉信太朗師のコンビが煽る、煽る。谷口正壽師のパンパンと力強い大鼓、それと連動する竹村英俊師のキレの良い小鼓が点を刻み込む。ワクワクした。これに若い観客が「喰いついた」のでは。
この舞台を能体験の最初のものとしてみた若い人は幸運だった。「能ってこんなに楽しい」と感じたに違いない。シテの宗一郎師の奥ゆきのある声の素晴らしさ。所作の美しさにもきっと感銘を受けただろう。ワキ(平維盛)の原大師とワキツレの原陸、有松遼一、小林努師もパワーがある。アイの野村又三郎、野村信朗師もシテ方、ワキ肩のパワーに負けていない。力と力の「おしくらまんじゅう」が目撃できた。こういうのは『安宅』で見ることができるけれど、『紅葉狩』では珍しい?
また地謡も負けじと頑張る。二階席だったので、声がウワーとうねりの波になって昇ってくる感じがした。楽しくて、次もまた同じ演者でみてみたい。
ではチラシについた解説をお借りする。
解説
戸隠山は全山紅葉に染まる。美しい上臈たちが紅葉狩りに分け入り、木蔭に幕を廻らし、屏風を立て、酒宴を始める。これも鹿狩りに分け入った平惟茂一行は、酒宴の邪魔をすまいと、道を代えて行き過ぎようとする。と、酒宴の主と見えて、ひときわ美しい女性が惟茂の袖にすがり引き留める。その色香に心を奪われた惟茂は、誘われるまま宴に加わる。盃が重なる。美女たちが舞う。夢のような時が過ぎる。いつしか惟茂は酔い伏してしまう。男山八幡はこの有様を見とおし、末社武内の神を使いに立て、神刀を惟茂に与える。惟茂は夢から覚める。女たちはいない。酒宴もない。雷火が乱れ落ちる。先刻の女たちは鬼となって惟茂に襲いかかる。しかし神刀によって、惟茂はみごとに鬼を退治する。 息詰まるほどの鮮やかな色彩に染まる山中で、男は、この世とも思われぬ美女と出会った。誘惑には勝てぬ、男の性〈さが〉だ。美しい女性ほど、内に魔性を秘めるのか。蠱惑(こわく)的な女の魅力。
前場に舞が置かれるのは、信光の創意。また、『道成寺』『殺生石』などと同様、舞台を圧するオブジェが美女をのみこみ、鬼を吐き出す趣向には化生の怪しい緊張感が漲っている。いずれも「近江女」という面を懸ける習慣のある曲である。
「美女の「誘惑」に男が誑し込まれる」という「普遍的」?なテーマ。それも能初心者にはとっつきやすいに違いない。
チラシの表と裏が以下。