yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

ロンドンでの能公演「Noh Reimagined 2018」@Kings Place 6月29日& 30日

まさかロンドンで能の公演を見ようとは。そういえば3月に下見に来た折、K先生から「こんなのがありますよ」って言われていたんだった。公演前々日に「London/ Noh」で検索をかけて発見、慌てて申し込んだ。ほぼ席は埋まっていたよう。両日ともにメインのパフォーマンスの前に能の所作、およびお囃子の指導 (ワークショップ)が入っていた。こちらはずっと前にソールドアウト。

 

二公演の演者一覧と両日のプログラムを以下に。

一噌幸弘(一噌流笛方)

田邊恭資(大倉流小鼓方)

柿原光博 (大鼓 高安流大鼓方)

吉谷潔 (太鼓)

馬野正基(観世流シテ方 銕仙会)

浅見慈一(観世流シテ方 銕仙会)

 

<29日のプログラム>

第一部

1.囃子方合奏

「鈴の段」『三番叟』

「乱拍子」「急の舞」『道成寺』

2.一調 「杜若」

  謡:浅見慈一+太鼓:吉谷潔

第二部

1.一噌幸弘 作曲・演奏「Sokuryutekiha」

2.半能『井筒』

      シテ  馬野正基

      地謡  浅見慈一

 

<30日のプログラム>

第一部

1.「Echoes and Callings」

2.「Reflection」

第二部

1.「Snow」

2.「Shishi」

3.「Shishi 16」

 

29日は能そのものを見せる演目になっていたが、30日は現代美術、現代音楽とのコラボ。こちらは成功しているというとは言い難かった。特に30日の第一部と第二部の「Snow」。あまりにも奇を衒いすぎた感があった。「現代なんとか」とコラボする必要が果たしてあるのか。考えさせられた。能は能で自律しているんですよね。それを無理やり西洋の観客に合わせることはないと思う。西洋の観客は能の精神そのものを「理解」、そして感じてくれると思うから。

今回の「遠征」は銕仙会のシテ方、それにお囃子方という構成。シテ方の馬野師はどちらかというと梅若流?「梅若」、「銕之丞」の両家とも代々、実験能、そして海外公演に積極的。だからこういう機会が作られたんだろう。それはありがたい。特にロンドン在住で日本の古典劇に飢えている人たち(結構な数おられるはず)に観劇の場を提供することには大いに意味があると思う。

普通ならシテ方に焦点が合わさるところ、本公演は笛の一噌師の「超絶技巧」を魅せるものになっていた。30日の公演は彼作曲の曲を披露するというところに主眼があったように思う。素晴らしかったんだけれど、あまりにも「俺、すごいだろう!」っていう感があって正直なところ少し鼻白んだ。西洋音楽とのコラボを頻繁にやっておられる藤田六郎兵衛さんと比べてしまった。

小鼓、大鼓、太鼓、それぞれが笛に遠慮している感があるように感じた。29日の伝統的な能の演目ではそうでもなかったけれど、30日のものは特に。小鼓の田邊恭資師は大倉源次郎さんのお弟子さん。師匠の小鼓とにて、高いところに突き抜け感があった。「道成寺」はとりわけ迫力満点だった。

シテ方のお二人の舞は素晴らしかった。29日の「半能『井筒』」、30日の「石橋」。いずれも馬野師がシテ。ただ、30日のものは浅見師がそのままの姿で一部登場、舞われた。お二人とも謡が梅若的(?)で聞き惚れた。あの節回し、観世寿夫さんのものでもありますよね。ひたすら感激していた。仕舞部をほぼ一人で舞われた馬野師の舞は動きにキレがあり、凛と美しかった。浅見師の謡いは奥行きがあり伸びやかに広がるもので、さすがと思わせた。

この後、本公演でご一緒したロンドン大SOASの日本人の先生方5人と「女子会」。劇場にあるバーは運河に面したお洒落な場所なんですが、そこでワインやらビールやら(これ私)、カクテルを飲みながら談笑。気がついたら12時前。楽しかった。