yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

Brian Frielの『Translations』(トランスレーションズ)@Olivier Theatre, ナショナルシアター、ロンドン 6月27日マチネ

こちらへ来てから3度目のナショナルシアター。今日の舞台は最も大きいオリヴィエ劇場。こちらへ来てすぐに見た『マクベス』もこの劇場だった。平土間(Stall) の前から2番目の席だったので、今日のサークル席とはまったく違った感じ。でも上から見るのも悪くはない。建築的にとてもよくできていて、ここからだと舞台全体がよく見えるのがいい。これで15ポンド。一昨日に取ったのだけれど、ソールドアウトのオンパレードだったので、ラッキーだった。これだと日本でNTLiveで見るのと、さほど料金は違わないですもの。これは確か映像化が予定されている。以下はナショナルシアターの公式サイトからお借りした舞台写真。

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今回はベタ褒め感のあるガーディアンのレヴューにこの作品を表すのに極めて的確なフレーズが出ていた。曰く、「言語と文化感の軋轢(クラッシュ)を複層的に描出したフリエルの労作 “Friel’s multilayered study of “the clash between language and culture”」。ただ、「1830年代を舞台にしたイギリスによるアイルランドの弾圧を『翻訳』という作業を通して明るみに出す」というテーマは、私のようにこの二つの文化圏とはまったく違ったところから来た人間には、あまりピンとこなかったのも事実。なんといっても英語にやられた。アイリッシュイングリッシュ的な英語(これはゲール語を模している?)と正統派イングリッシュ。いずれも聞き取りにくいのに、それがはるか遠くの舞台で喋られるので、第一幕は半分もわからず。後は大分慣れたけれど、キモのところが「?」だった。「この終わり方は一体なに?」という感じだった。

で、ネットで調べました。Wikiに情報が。かなりショッキングな内容だった。そういうことだったのかって、やっと腑に落ちた。アンビギュアスな終幕になっていたのも、こういうことなのかと判った。悲劇。ほのめかしてあるだけ、余計に恐怖が募る。だから、帰ってからショックを受けている有様(遅い!)。

故郷アイルランドの生地の英語版地図を作るプロジェクトを抱えて6年ぶりに故郷に帰ってきた主人公のオウエン。二人の士官が手伝いに同伴してきている。オウエンの兄、メーナスは土地のマリを好きなのだけれど、マリはオウエンに同伴してきたヨランドという士官と恋に落ちる。お互いの言語が分からず愛の伝達に苦労する場面が見せ場の一つらしい。楽しい、かわいい場面です。二人は結婚の約束をする。それを知った失意のメーナスは家を出て行くのだけれど、村に駐屯していたイギリス軍に裏切り者と勘違いされ、捜索をかけられる。捕まれば命はないはず。また、ヨランドも裏切り者の汚名を着せられ、この後どうなるか、明らかにされないまま幕になる。

最近は抽象化した舞台、舞台装置に慣れてきていたので、こういう普通の舞台装置にホッとした。当時のアイルランドの貧しさがリアルに伝わってくるセット。当時のアイルランドは、続く飢饉で生活が困窮を極めていたのは夙に有名な話。多くがアメリカに移住したのもこのころ。劇中でもマリはアメリカへの移住を夢見ていた。

 セリフの応酬で見せるのは英国の芝居の常套で、その点ではフリールも英国的なんでしょう。私の場合は、いまひとつピンとこないところが多かったし、ちょっと食傷気味になった。私の中の何かが「(抽象化極限劇である)能が見たい!」と叫んでいた。最近は(何語であれ)「セリフの過剰」に拒否反応が起きます。

お隣に座られた老婦人、「グローブ座がいいですよ」とアドバイスをくださった。終わった後、ロビーで話をしたのだけれど、9月に日本に行かれるという。なんでも英国から老ダンサーたちが参加するショーがあるとのこと。「知らない?」って聞かれても、皆目見当がつかず。帰ってから調べました。確かに9月22日から10月8日まで「彩の国さいたま芸術劇場」で開催されるよう。「高齢者舞台芸術 × 国際フェスティバル『世界ゴールド祭2018』」っていうらしい。英国からは「サドラーズウェルズ劇場 カンパニーオブエルダーズ」が参加という情報が。

《世界ゴールド祭2018》開催決定!!|彩の国さいたま芸術劇場

話の感じだとご本人が出られるのかもしれない?!関東圏の方々、覗かれてみては如何でしょう?