yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

望みうる最高の演者たちの能『松風 見留』in「片山定期能七月公演」@京都観世会館7月15日

「片山定期能」では二本の能と一本の狂言、それに仕舞が数本入るというプログラムになっているらしい。12時半に始まり5時前に終わるという長丁場。でも全く退屈しなかった。定期能の締めは『松風』。なんと1時間45分!演者さんたち、特にお囃子の笛と地謡の方々は大変だろうと、それがとても気になった。

この日の観世会館、二本目の能が始まる前に急に人が増えた。それまではところどころ空席があったのに、満席に。私の席は正面左脇4列目のちょうど柱が目の前に来るところ。でも舞台はよく見えた。私自身も、演者一覧に「小鼓、大倉源次郎、笛、藤田六郎兵衛」ってあれば、万難を排して参ります(!?)。しかもシテが片山九郎右衛門師、シテツレが味方玄師とあれば、これ以上のものは望めないほどの舞台。もちろん予想は裏切られなかった。来ていた観客も皆同じ思いだったに違いない。

以下に演者一覧を。

シテ   松風の霊 片山九郎右衛門 
シテツレ 村雨の霊 味方玄 
ワキ 旅僧 殿田謙吉 
アイ 浦人 茂山良暢
笛   藤田六郎兵衛 
小鼓  大倉源次郎 
大鼓  河村大

後見  梅田嘉宏 大江信行 橘屋保向
地謡  大江広祐 河村和貴 清沢一政 田茂井廣道
    分林道治 古橋正邦 青木道喜 河村博重

例によって「銕仙会」の曲目解説より「概要」をお借りする。なお、「概要」以外にも「みどころ」が優れた解説になっている。

旅の僧(ワキ)が須磨の浦を訪れると、一本の松の木が目にとまった。昔の松風・村雨という海女の姉妹に所縁のある木だと聞いた僧は、この松を弔い、日も暮れたので浜辺の小屋に泊まろうとする。そこへ、小屋の主である海女の姉妹(シテ・ツレ)が現れ、月光の下で汐を汲み、小屋に帰ってくる。姉妹ははじめ宿泊の願いを断ろうとするが、相手が僧と知ってこれを許し、自分たちこそ松風・村雨の霊であると明かす。二人は、昔在原行平が須磨に下向してきたときに召された海女で、行平が都へ帰り程なく亡くなってしまったことを嘆き悲しむのであった。松風は行平の形見の衣を手に取り、これを身につけて恋慕の思いをいっそう強くしてゆき、ついに想いゆえに狂乱し、行平を恋い慕って舞を舞う。

行平との恋に過ごした至福の三年間。しかし行平は都へ帰っていった。形見にと烏帽子、狩衣を残して。これを見るたび、恋しさは募る。恋に我を忘れた松風、行平の烏帽子と狩衣を身にまとい、舞い狂う。止めようとする村雨に向かい、松に託した行平の思いを反芻してみせる。それは『古今和歌集』に採られた行平の歌、「立ち別れいなばの山の峰に生ふる松とし聞かば今かへりこむ」だった。松(松風でもある)と「待つ」が掛詞として使われ、松風の強い「待つ」思いが伝わって来る。松風、村雨の行平への恋慕が益々募る仕掛けとして、歌が使われている。

行平の狩衣を着て舞う松風。月光の下まるで冷たい光を反射させているかのよう。松風の狂い舞いはクライマックスを迎える。やがて朝日が須磨の浦に登る。あたりが明るむ。亡霊の二人はかき消すように消えて行く。

九郎右衛門さんの松風と玄さんの村雨、可憐で可愛い。まるで双子の姉妹のようだった。二人ともに楚々した風情が際立つ。この二人が舞台中央に進んで来る様はなんとも品が良く、美しい。彼らならではのもの。なんどもいうけれど、このお二人が幽雪さんのお弟子さんでよかった。二人打ち揃って「未来の人間国宝」の格調高い舞を連れ舞いしてくださるのが感動もの。松風のみが舞っていても、それは村雨との連れ舞い。この絶妙の息の合い方は、実際に舞台を見て見ないと「実感」できないだろう。しかも後ろで演奏されるお囃子がこの二人の華をより美しく、激しく盛り立てる。だんだんとアップテンポの激しさがまし、狂い舞を煽る。笛がそのテンポを区切って行く。その間隔が短く、より短くなり、クライマックスへと至る。とにかくなが〜いので、終わった時はホッとしたほど。

この二人だから、揃って橋掛りを幕に入るところ、眼前に須磨の浦の朝の光景が見えるような、そんな感じがした。二人が消えた後には癒しきれない哀しさ、虚しさが広がる。彼岸と此岸が一瞬であれ繋がったのを見せた舞台。でも最後は、この現実に引き戻されてしまう。能が他のジャンルとは決定的に違うのは、ここだろうと思う。