yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

能『海士』NHK e-テレ2010 年5月15日放映のもの—私にとって幻の能舞台—

5月から受講していた京都市立芸大のお囃子講座で見たもの。この講座、能『海士』の謡本(テキスト)とそのビデオが教材に使われた。作品中のお囃子を中心とした「音楽」の歴史的背景、由来と、それらがどういう形でお囃子や謡に発展、結実しているのかを探るというのが講座テーマだった。お囃子(音楽)が専門の先生が担当されたので、結構専門に入り込んでのものになっていた。それなりに面白かった。またこの作品をたたき台にすることで、能全般の「音楽」がどういう経緯で生まれたのかを多少なりとも知ることができた。

しかし、講義そのものよりも私の興味を強く引いたのが、授業中に見た『海士』のビデオだった。講義よりもこちらをたっぷりと見ていたいと思ったほど。もちろん、授業で得た知識はそれなりに大きかったけれど、それはあくまでも机上のもの。そういう知識を超えてしまうのが舞台なのだと、改めて認識させられた。ビデオで見てもこれほどのインパクトがある。実際の舞台のパワーはいかほどだったか!

このビデオはあくまでも補助手段として使われていた。当該の舞台についての説明は一切なかった。8回に渡る講義。その最初から見せられたこのDVD。演者が気になっていたのだけど、他の受講生は全くそれには興味がなさそうだったので、あえて授業を端折ってまで講師に聞く気になれなかった。質問の時間を毎回設けてくれていたら、話は別だったのかも。アメリカの大学では授業中に質問の時間を設けないなんてあり得ない。そんなことをしたら、学生が騒ぎ出すし、次からはお呼びがかからなくなる。

で、件の『海士』。NHKが発売したものではなかった。シテは面をつけているので、誰が演者なのか初めはわからず。ビデオの後半、後シテの演者名が出てきたとき、やっと判った。浅見真州さんだった。

そこから検索をかけ、ようようビデオの詳細がわかった(大げさ!)、2010年5月15日にe-テレで放映されたもの。実際の舞台がいつだったのかはわからないけど、おそらく放映より一、二ヶ月程度前だったのでは?判明した演者は以下。

能『海士』赤頭三段之舞・二段返の特殊演出
シテ  浅見真州
ワキ  宝生閑

大鼓  亀井忠雄
小鼓  大倉源次郎
笛   一噌仙幸
太鼓  助川治

7年前の録画。この演者の中に重要無形文化財保持者(人間国宝)、もしくはその予備軍の方が多くおられる。人間国宝の宝生閑さんは昨年鬼籍に入られた。大鼓の亀井忠雄さん、笛の一噌仙幸さんは人間国宝。浅見真州さん、大倉源次郎さんは近いうちに人間国宝になられると思う。人間国宝のうち揃った舞台だったのだと、しみじみと感じ入った。能楽の場合、重要無形文化財保持者には団体と個人枠がある。団体では中堅以上のほとんどの方が認定されているけど、個人は極めて少ない。存命の方たちのみの名を挙げると、シテ方では友枝昭世、梅若玄祥、野村四郎、大槻文蔵各氏の四名。大鼓では安福建雄、亀井忠雄の各氏二名。太鼓では三島元太郎氏のみ。狂言では野村萬、野村万作、四世山本東次郎各氏の三名。あとは故人になっておられる。

シテが浅見真州さんなので、当然観世流。後見のお一人は観世銕之丞(暁夫)さんだった。もうお一人もおそらく銕仙会の方。地謡は映像からは判別できなかった。もっとも私の乏しい体験だけではrecognitionは無理。全てを通して見ていないのが残念。どなたか録画を持っておられないだろうか。NHKは今のところ発売していないようだし。

私は第二回目の授業を友人との約束があって欠席しているので、そのときに見せられたであろう前半の一部は見逃している。一応、「銕仙会」のサイトから作品の登場人物、概要を以下にアップしておく。

人物
前シテ 海人
後シテ 竜女(房前の母の霊)
子方 大臣 藤原房前
ワキ 房前の従者
間狂言 土地の男 

概要
奈良時代、藤原房前(子方)が亡き母のルーツであるという讃州志度浦を訪れると、一人の海人(シテ)が現れ、「房前は藤原不比等がこの浦の賤しい海人と契ってできた子である」と明かす。海人は、房前の母が竜王に盗られた明珠を取り返すため海に潜り、自らの命と引き替えに玉を取り返したさまを再現する。そうして、自分こそその母の霊であることを明かすと、海人は房前に手紙を託し、海中へと消えていった。手紙には自分があの世で苦しんでおり、供養をして欲しい旨が綴られていた。房前が供養をしていると、今や竜女に変身した母の霊(後シテ)が現れ、法華経の功徳によって救われたことを喜ぶ。

最大の見せ場は前場の「玉之段」。「海人が竜宮から玉を取り戻した様を仕方語りに演じるところ」だという。お囃子の拍子が早くなる。それに合わせて、シテの舞もピッチをあげる。息詰まる場面。鐡仙会の解説をお借りする。

伝統的な大和猿楽の得意芸であった写実的な演技が〔玉之段〕には多く見られ、古い面影を残しています。竜宮に飛び込んで玉を盗み、最後は自分の乳房を搔き切ってそこに玉を押し込むという壮絶な描写はたいへん印象的でありますが、それでいて、ただインパクトの強い描写が続くのではなく、深い海の底から遙か彼方にいる夫や我が子を思い出し、今生の別れに涙ぐむなど、しんみりとした情趣ある場面も挟まり、非常に緩急のついた、ドラマチックな場面となっています。

この壮絶な前場と打って変わるのが後場のシテ。ここでは僧の回向で成仏したシテが喜びの舞を舞う。この二つの苦/楽の世界の対比が面白い。再度鐡仙会解説をお借りすると、「今や竜女の身となった海人が、鱗の身を光り輝かせながら、水上をすべるように舞う〔早舞〕の優雅な美しさが、後場の見どころとなっています」。実際、浅見師のシテは前場の苦悩に満ちた所作から一転、後場ではいとも軽やかに、楽しげに舞われた。ホッとする一瞬。この時すでに70代に入りかけておられた浅見師。その動きの敏捷さ、軽やかさが強く印象に残る。

大倉源次郎さんの小鼓、すばらしい。文句なしにすばらしい。あの凛とした音色。ずっと耳に残るあの音は、素人でも他の演者さんと容易に差別化できる。一噌仙幸さんの笛もいい。亀井忠雄さんの大鼓も圧巻。囃子方が粒ぞろいで、掛け合い、合奏ともに聞き惚れる。10分程度にぶっちぎられたのビデオの断片の鑑賞。この演奏が一期一会のものであったことを重く受け止めざるを得ない。だから今はビデオを入手したいなんて喚かないで(?)、あの舞台を記憶にとどめるだけにしておこうと思っている。