yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

映画『花戦さ』は時代劇映画の「新感覚派」?

『花戦さ』を見て、最近の時代劇新路線の延長線上にある作品だと感じた。その辺りのことを映画の宣伝班が以下のように謳いあげている。

時代劇と言えば、手に汗握るサスペンスと見事な殺陣(たて)が決まる痛快なアクションが描かれるのが定番だったが、近年はそういったイメージを覆す、「痛快&爽快エンターテインメント時代劇」とも呼ぶべき新感覚な作品が高い人気を誇っている。

近年のヒット作を眺めてみると、「超高速!参勤交代」シリーズや「殿、利息でござる!」「武士の家計簿」「清須会議」「のぼうの城」など、衣装や美術は本格時代劇のたたずまいながら、描かれるのはユーモアあふれるストーリーといった仕立ての作品が多く並ぶ。映画やドラマで長く作られてきたジャンルだけに、「こういうものでしょ?」と固定観念で語られがちなのが時代劇だが、ユーモアや奇抜さがあふれるエンターテインメントとして再構築し、歴史的な出来事や偉人たちを堅苦しくなくカジュアルに描く=見る者に親近感を与える作りとしていることが、注目を集める秘けつとなっているのは間違いない。前述の作品群が受けているのは、その証明とも言えるだろう。

たしかに私のように映画をほとんど見ない者にも、いわゆる時代劇映画が従来の路線を見限り、より現代的な内容にシフトしていることは分かる。「新感覚」作品といえるだろう。つまり時代劇ではなく、現代劇であるということ。もちろん、いくら昔ながらの題材、趣向、演出で時代劇を撮っても、今、ここで、今の役者が演じる以上、それは必然的に現代劇にはなっているはず。

「新感覚」路線は単に時代物を現代劇に置き換えるのではなく、素材は過去に採りながらも、それを現代にワープさせる手法に拠っているように思う。そのワープに何重にもひねりを効かせているのが面白い。ひねり、それは以前の時代劇の常套であった大文字の「忠義」とか「勧善懲悪」に目一杯に効かされ、いくつものいびつな形にしてそれらを表出させる。以前にもそういう「時代劇」は製作されていただろうけど、あまりにも直球すぎた。「新感覚」時代的が投げるのは変化球のみ。「ニューウェーブ」時代劇が抱え込んでいた「社会正義臭」の要素を一旦捨象し、突飛とも思える側面に目を向ける。それを強調する。結果、プリズムが光を乱反射させるが如く、その側面がさまざまな角度の光線を放射する。とんでもない光(球)が飛んでくる分、その対処法は一つではない。それが「緩み」を生む。緩みは必然的に喜劇を招来するだろう。最近の時代劇の多くが喜劇であるのも当然かも?

『超高速!参勤交代』シリーズや『殿、利息でござる!』は「新感覚派」の成功例だろう。『花戦さ』もそれに連なる?