yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

海老蔵主演テレビ東京『石川五右衛門』第二話

初回も第二話も見ていなかったけど、なんと公式サイトで直近のものを視聴できるという。早速第二話を見てみた。つまらなかった。吉右衛門主演の「鬼平」にも藤田まこと主演の「必殺仕事人」にも及ばない。さきごろ再放送で見た菊五郎主演の「半七捕物帳」とは雲泥の差。海老蔵をはじめとして、俳優が「タレント」(実際タレントですが)レベル。役者ではない。脚本が練られていない。いずれ「こける」のは必定だろう。

あんまりアホらしいので、途中でやめようかと思ったのだけど、一応レポするつもりで、最後まで見た。これに比べれば最近見た時代劇映画、『殿、利息でござる!』、『超高速!参勤交代』のなんと優れていたことか。脚本に多彩な工夫が施されていた。また役者が揃っていた。また勘九郎の『真田十勇士』のエンターテインメント性が、(この『石川五右衛門』と比べるべくもなく)いかに高かったことか。

ブログ王の海老蔵の名前を出せば売れるとでも思ったのだろうか。海老蔵に演技力を期待するのは土台無理なんですけどね。それがわかっていない人たちが立てた企画なんでしょう。

一応番組サイトよりの第二話あらすじが以下。

夜左衛門(市川海老蔵)一座が身を寄せる奥山公継(益岡徹)の屋敷に、馴染みの人気力士・岩川次郎吉(渡辺裕之)が息子の礼三郎を連れて訪ねて来る。宴の席で百助(山田純大)は、息子のように可愛がる礼三郎から岩川の想い人を捜して欲しいと頼まれる。だが、その相手は何と…茶々(比嘉愛未)。豊臣屋敷での相撲で見初めたというのだ。茶々をさらって岩川に会わせたいと言い出す百助に、夜左衛門、金蔵(前野朋哉)、小雀(高月彩良)は呆気にとられるが、奈々(AnJu)から豊臣秀吉(國村隼)の許しを得て茶々がお忍びで都見物を行うと聞き、百助はすっかりその気に。実は百助が岩川親子に肩入れする背景には、死んだ息子と女房への思いがあった…。 そんな折、花街で飲んでいた百助は、羽振りの良い市原九太夫(金山一彦)に目を留める。勧進相撲の勝ちクジの元締めで、お上が見て見ぬふりなことをいいことに、からくり屋敷内で違法の勝ちクジを売り、金儲けしているという情報を得る。
翌日、勧進相撲の会場で岩川と鉄ヶ嶽(脇知弘)が人気に恥じない戦いを繰り広げる中、支度部屋に戻った岩川のもとに「息子を返して欲しければ結びの一番で鉄ヶ嶽に負けろ」と書かれた文が届く。その頃、会場を抜け出していた礼三郎は浪人に捕まってしまい…。
一方、町娘に扮した茶々は、前田玄以(榎木孝明)や奈々ら護衛の者に守られ、街を散策していた際、路地裏を浪人たちが足早に進むのを目撃。彼らが抱える麻袋に礼三郎が入れられているのを見た茶々は、護衛が目を離した隙に急いで後を追うが…。
岩川親子の運命は?そして、五右衛門と茶々の禁断の恋が動き出す!

俳優の中では海老蔵をしのいで百助役の山田純大が光っていた。気になったのでWikiにあたって見た。中学、高校、大学とアメリカだったんですね。道理で。この人を主役にすればよかったのでは。あとの役者では榎本孝明が良かった。他は秀吉役の國村隼をはじめとしてほとんどがthumb down。特に比嘉愛未、高月彩良、AnJu等の女性陣が良くない。女性陣がこんなに色気に欠ける時代劇を始めて見た。

不思議なんですよね。海老蔵は歌舞伎で見ればそれなりに見られる。狂言によっては、特に市川宗家の十八番ではさすがと思わせる。宗家十八番で演じられるのは、すべて立ち役の勇猛さを表す役。心理に踏み込む必要はない。また、陰影をつける必要もない。ただあるがままのヒーローを描出できれば事足りる。等身大以上のヒーローを。そういう役に彼ほどぴったりの人もいないだろう。それはそれで彼の「レゾンデートル」ではある。しかし、しかしである、時代は違ったヒーローを求めている。それに気づいた優秀な歌舞伎役者は、いろいろな試みをすでに始めている。海老蔵と同い年の菊之助然り。彼こそが未来の「人間国宝」候補だろう。海老蔵はそれに完璧に置いてきぼりを喰らっているようにみえる。今の20代、30代の歌舞伎役者がいかにパワフルで優秀かは、最近の歌舞伎を見た人ならすぐにわかること。加えて猿之助、染五郎といったアラフォー役者がそれを牽引しているので、いま歌舞伎はめっぽう面白いんです!

このドラマ中、海老蔵五右衛門が茶々にいうセリフ、「これからは秀吉のそばを離れなさんな。じゃないと俺が盗み出す」なんて、安っぽいメロドラマ以外の何物でもない。ついでに言えば、このセリフを語る海老蔵の下手なこと。なんの工夫もない。鼻白んだ。「勘九郎だったら、違った風に言ったんだろうな」ってつい思った。海老蔵の歌舞伎風の語りがここではアダになっている。臨機応変に、つまり「現代劇」としてセリフも変容させる芸当は彼にはできない。猿之助や中車のうまさを思った。あるいは巳之助、歌昇のうまさを思った。

以上は海老蔵評だったけど、ドラマとしても「いけて」なかった。体裁としては「必殺仕事人」風。あるいは「鬼平」もモデルにしていただろう。問題はそこに下手なメロドラマを挿入するところ。必殺や鬼平はどこまでもドライ。そのドライ感がいかにもモダン。そのドライ感によって「現代」を描出するのに成功していた。

このドラマを一言で言うなら、「緊張感がない」。つまり盛り上がりに欠ける。これはすべてドラマツルギーのなんたるかが分かっていないことからきている。それを最後の大凧に乗った五右衛門で補うには、あまりにも無理がある。先日見た猿之助、巳之助の宙乗りと比べてしまった。なんの必然もないケレンはみている側にストレスを強いるだけ。単にアホらしいだけ。これで視聴率を稼げたら、大したものである。「Wait and see!」の心境。まあ、時間の無駄だから、この先見ることはないだろうけど。