yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

能『鵺』in 「青嵐会」@河村能楽堂5月20日

『鵺』は今年1月に京都春秋座で観世銕之丞さんシテで見ているので、2回目。今回のシテは河村紀仁さん。面をつけておられるのでお顔が分からないけど、キビキビして動きからおそらく若い方。演者一覧は以下。

シテ    河村紀仁
ワキ    原大
アイ    茂山良暢

笛     杉市和   
小鼓    吉阪一郎
大鼓    河村大
太鼓    前川光長

以下に「能.com」から引用させていただいた『鵺』のあらすじと見どころを。

あらすじ
熊野から京都をめざしていた旅の僧が、摂津国芦屋の里(今の兵庫県芦屋市あたり)に着き、里人に宿泊先を求めますが断られます。僧は、里人から紹介された川沿いの御堂に泊まることにしました。夜半、そこに埋もれ木のような舟が一艘漕ぎ寄せ、姿の定まらない怪しげな舟人が現れ、僧と言葉を交わします。はじめ正体を明かさなかった舟人も、「人間ではないだろう、名は?」と問いかける僧に、自分は怪物・鵺の亡霊であると明かします。そして、近衛天皇の御代(在位1142年〜1155年)に、天皇を病魔に陥らせたところ、源頼政(源三位頼政[げんざんみよりまさ]と呼ばれた弓の達人)に射抜かれ、退治された、という顛末を語り、僧に回向を頼んで夜の波間に消えていきました。

しばらくして、様子を見にきた里人は、改めて頼政の鵺退治の話を語り、退治されて淀川に流された鵺がしばらくこの地に滞留していたと僧に伝えます。話を聞いた僧が読経して鵺を弔っていると、鵺の亡霊がもとのかたちで姿を現します。鵺の亡霊は、頼政は鵺退治で名を上げ、帝より獅子王の名を持つ名剣を賜ったが、自分はうつほ舟(木をくり抜いて造る丸木舟のこと)に押し込められ、暗い水底に流されたと語ります。そして、山の端にかかる月のように我が身を照らし救い給え、と願いながら、月とともに闇へと沈んでいくのでした。

みどころ
鵺とは、現実にはトラツグミという鳥のことを指します。能に出てくる鵺は、頭は猿、手足は虎、尻尾は蛇(平家物語では胴体が狸)という妖怪で、鳴く声がトラツグミに似ているから鵺と呼ばれたといいます。西洋で言えばギリシア神話にでてくるキマイラ、現代SF小説なら遺伝子操作で生まれたモンスターという位置づけでしょう。

こうした化け物退治では、退治する勇者を持ち上げて、めでたし、めでたしで終わるほうが一般受けもよいし、好まれるように思われます。しかし能ではしばしば、戦記物、化け物退治の物語などをベースに、敗者、退治される者を主人公にして、滅ぼされる側の視点を描き、その悲哀を通して人間世界の影、人生の暗い側面を突きつけることがあります。

能の「鵺」では、鵺という化け物の亡霊が主人公になり、救いのない滅びへ至る運命を切々と語ります。勇者・源頼政に退治され、淀川に流されて、暗渠に沈められた鵺が、山の端の月に闇を照らせよと願いを込める最後のシーンが印象的です。月とともに沈んだ鵺に救済は訪れたのでしょうか。

ほとんどの演者はこの日初めて拝見する方。ただ、ワキの原大さん、小鼓の吉阪一郎さんはなんども、笛の杉市和さん、太鼓の前川光長さんはそれぞれ二回拝見(拝聴)している。こういう社中会もプロのそれも一級の囃子方、地謡がつくのが、感動的。仕舞、謡のおさらいをされるのは社中のお弟子さんたち。でもバックはしっかりと固められている。こういう演奏方法(?)は、他ジャンルにはないのでは?能の懐の深さを想う。

『鵺』の一番のみどころは上記にあるように、「化け物退治、戦記もので敗者、退治される者を主人公にして、滅ぼされる側の視点を描くところ。そしてその悲哀を通して人間世界の影の部分を描くところ」だろう。敗者側の視点に立ち、その悲哀を描く点で、いわゆる英雄譚とは一線を画している。大体がこの世に未練を残した死者の亡霊がシテというケースがほとんどなのだから、明るい演劇とは到底言えない。そこが逆に人を惹きつけてやまないところだろう。

媚びて、同情を買おうとするのではない。あくまでも気高く矜持は保っている。でもやはりこの世に、あるいはこの世の人に対する未練、恨みは迸り出てしまう。それを掬い上げ、なんとか宥和し、おさめるところにワキ=僧侶の意味がある。

今回のシテ、河村紀仁さんは出てきた姿が素晴らしかった。哀しみに満ちた佇まい。若いというのは能の場合、そんなには利点にならないのかもしれないけど、河村紀仁さんは逆に若さゆえの「儚さ」を出していた。それが虐げられ、蔑まれた鵺の存在の希薄さを表していたように思う。

それが途中から鵺を退治した源頼政にもなり替わり、この鵺のもつ複層的な意味合いを示す。退治される側と退治する側と。入れ替わりに同一人物によって演じられる役。退治する英雄が一方的に賞賛されるのではなく、その英雄にも裏のペルソナがあることを示している。「山の端の月に闇を照らせよと願いを込める最後のシーン」は、だから、月の光とその陰、闇とが分かち難く結びついていることを暗示しているように思う。それでも消えない悲哀が、シテが橋掛りより去った後にも余韻として残る。それがこの能が優れている点だろう。さすが世阿弥。以前の記事にも書いたけれど、ここに芸能者の悲哀が重なるわけで、それはまさに世阿弥の感じていた哀しみでもあっただろう。

シテの河村紀仁さんをワキの原大さんがずっと微笑みながら見ていたのが印象的だった。哀しみの舞台中の救い。

笛も抑制がよくとれていた。大鼓も勢いがあった。太鼓も均整がとれていて、何よりも張りのある掛け声が良かった。そして、小鼓はおなじみの吉阪一郎さん。大倉源次郎さんの一のお弟子さん。素晴らしい演奏だった。