yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

宇高徳成さんの能『鵺』 in「宇高青蘭能之会」@金剛能楽堂9月10日

「宇高青蘭能之会」に出かけるのは初めて。そもそも金剛流の能をまともにみたのは先日の「大文字送り火能」とその前には「京都薪能」、そしてスタンフォード大学との共催だった「インターメディアとしての能」の三回のみ。「インターメディアとしての能」の『小鍛冶』のシテをやられた宇高竜成さんは素晴らしかったのだけど、先日の「大文字送り火能」の『通小町』には正直いってちょっと失望した。これは宇高さんはシテではなかった。宇高竜成さんにはその後、「お囃子Labo」で「遭遇」して、若い人のパワーに感動した。また、先日の「大連吟」のオリエンテーションで見せられた紹介ビデオでの素敵な自己紹介にも感じ入った。両方ともに弟の徳成さんと組まれての「出場」。

てっきりこの「宇高青蘭能之会」でも竜成さんがシテをされると踏んでいたののに、お父上の宇高通成さんが『野宮』のシテをやられた。竜成さんは最初の「解説」を担当されただけ。これはとても要領を得たもので、さすがと感心したのだけど、いかんせんシテとしての登場がなくてがっかり。私の早とちりだったんですけどね。でも弟の宇高徳成さんが二曲目の『鵺』でシテをされたので、若いパワーのみなぎった舞台を見ることができた。この優秀なご兄弟が「大連吟」の京都金剛グループの担当をされる。いいですよ、きっと。

この日、『野宮』と『鵺』の二曲がプログラムに。意欲的。しかも『鵺』はまだお若い?宇高徳成さんがシテ。お父上の『野宮』より私的にはこちらの方がよかった。

この日の演者一覧が以下。

シテ  宇高徳成
ワキ  岡充 
アイ  島田洋海

笛   左鴻泰弘
小鼓  林大和
大鼓  渡部諭
太鼓  前川光範

後見  宇高竜成 廣田幸稔 山田伊純
地謡  向井弘記 重本昌也 豊嶋晃嗣 山口尚志 
    谷口雅彦 豊嶋幸洋 種田道一 今村克紀

『鵺』を見るのはこれが四度目。人気のある演目なんでしょうね。それぞれの役者によって解釈が違うのか互いにかなり異なった印象を受けた。宇高徳成さんが今までにみた演者中最もお若い。若い分、新しい感じがした。いくら面を付けていても動きが機敏でダイナミックなので、自ずと演者の年齢が判る。能ってある意味アスリートに近いところがあるので、身体の動きの端々に年齢はいやでも出る。怖ろしいほどに。「体が重い」(=「動きが鈍い」)というのが、その内面の重さを表しているなんて「言い訳」ができないほど、正直なのが能の舞いであり謡なんだと思う。それは文楽の義太夫語りや人形遣いにも共通したもののような気がする。芸が高みにゆけば、身体の「衰え」は逆に芸術度の高さに変わる可能性もあるのかも。でも現実にはなかなかそうは行かない。

宇高徳成さんの鵺は若々しく、どこか頼りなげ。その無残な死が鵺退治の功績で恩賞を受けることになった頼政の出世と際立った対比をなしている。だから、理不尽に殺されるのが不憫。哀れを誘う鵺のサマが、宇高徳成さんの姿を借りて眼前にとび出してきた気がした。立体的な『鵺』だった。

それにしても宇高兄弟は優れた能役者ですね。10月29日のポール・クローデルの作品をもとにした新作能『面影』も見に行くことにした。