yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

三代猿之助四十八撰の内「奴道成寺(やっこどうじょうじ)」 in 「四月大歌舞伎」@歌舞伎座 4月13日夜の部

「歌舞伎美人」からの「配役」と「みどころ」が以下。

<配役>
白拍子花子実は狂言師左近  猿之助
所化  尾上右近
同   種之助
同   米吉
同   隼人
同   男寅
同   初舞台龍生


<みどころ>
狂言師が鮮やかに踊り分ける道成寺
 鐘供養が行われると聞き、近江国三井寺へ現れた白拍子花子は、舞を奉納することで鐘を拝ませて欲しいと頼みます。所化たちがこれを許可すると、早速舞を舞う花子でしたが、烏帽子が取れ、男であることがばれてしまいます。実は、この近くに住む狂言師左近が白拍子に成りすましており、それを知られた左近は、所化の勧めに応じて鮮やかな踊りを次々と披露します。やがて、左近は大勢の四天を相手に立廻ると、鐘に上り、隠されていた宝鏡を手に周囲を睨みつけるのでした。
 舞踊の大曲『道成寺』を男が踊るという趣向の華やかで見どころの多い舞踊をお楽しみください。

猿之助の踊り手としての技が光る。文句なし。ちょっと残念だったのは所化の右近、米吉、隼人の見せ場がなかったこと。まあ、「猿之助を魅せる」という主旨からすると仕方ないんですけどね。逆にここまで豪華な所化を打ち揃えて「花子」を張れるのは人としての、そして歌舞伎役者としての猿之助の大きさだからともいえる。

猿之助の「奴道成寺」は初めて。この演目を「歌舞伎データベース」で検索したら、白拍子花子実は狂言師左近を踊るのはほとんどが歌舞伎舞踊の家元。松緑、三津五郎、富十郎等々。近年もっとも回数の多いのは故三津五郎。巳之助が早く披露してくれたらいいのだけど(と、思わず私情が)。 

猿之助ももちろん踊りの名手。三代目からのみならず、藤間紫さんの薫陶も受けているだろう。「手」が他の流派とどう違うのかがよくわからない私としては、舞台で美しい娘が狂言師に変身する様を楽しむしかない。何度もぶっ返りがあり、手さばきの鮮やかさと下から現れた衣装の華やかさに目を奪われる。後ろ席に座っていた外国人のグループがその都度、「アァ!」と叫ぶのがおかしかった。

猿之助の舞踊はどう言えばいいのか、「さあ、どうだ!」といったアグレッシブさを出すのではなく、どちらかというと技巧の成熟を見せるもの。しみじみ味合わせるもの。その点では若い娘というより、もっと年かさの女に見える。だから途中で狂言師に「性転換」しても、そう無理がないように映る。この舞踊だからわざとそう踊った?

猿之助の成熟と所化たちの若々しさが対照的。所化たちはいわゆる見せ場はないんですけどね。コミカル度をあげる点で、また軽さを出す点で、上手い若手を配しているのは成功していた。でもやっぱりもったいない。右近に米吉、それに隼人といった「綺麗どころ」ですよ。芸も優れた若手たち。もっと見ていたかった。

最近、歌舞伎舞踊の長唄の場面ではお囃子方がやたらと気になる。能のそれと歌舞伎のそれとは全く方向性の違ったものだと、改めて認識させられた。