yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

「PUSH UP」第一回公演『Pack』@TORII HALL 8月19日

柄にもなくしんみりした。もっと早くに感想をここに上げるつもりが、泊りがけの来客があったりして、延び延びになってしまっていた。

ネパールにある山小屋が舞台。ヒマラヤ登山をする人が泊まる宿泊施設。女将(峯素子)はアラフォーの日本人。一人で切り盛りしている。二段ベッドがずらっと並んでいる。7、8人が泊まれるようになっている。大体が満員。ここでアルバイトをしていた勇希(伊藤駿太郎)もいよいよ登山のためここを去ろうとしているところ。忙しなるので、女将は彼を引きとめようとしている。

何組かの客がやってくる。まず二人の娘(一人は14歳くらい、もう一人は12歳くらい)を連れた40代男性、臼井(古川ヒロシ)。娘は上が冬音(高橋穂乃果))、下が心夏(古妻朋瑛)。夏休みを利用しての家族旅行のよう。佐藤はアルピニストでは有名な男らしい。自信満々で皮肉屋の北大路(鎌谷潤吉)。それとは対照的になんとなく自信なさげな男、倉田明日香(富士田伸明)。ハッピーターンを大きなずた袋二ついっぱいに持ってきた霧島キララ(山崎玲良)。シャキシャキした男前の若い女性、弥生(江芳宇)。おネエ言葉でしゃべる、やたらと潔癖な短パン姿の若い男、佐藤勇(笠井隆介)。そして最後はランボーの扮装をした勇ましい男、奥田(小佐田貢)。いずれも一癖も二癖もある人たち。「まっとう」なのは勇希と臼井くらい。

一通り、一緒に食事をしてなんとなく仲良くなる。仕切っていたのは北大路。ところがみんなが寝静まったあと、北大路はみんなの貴重品を盗み出し、そのまま遁走する。それに気づいた冬音があとを追う。なんでも父親から虐待を受けているので、一緒に連れて行って欲しいのだとか。仕方なく連れて行く北大路。

財布が盗まれているのに気づいたみんなが騒ぎ出す。また北大路と冬音がいなくなっているのにも気づく。慌てふためく臼井。折から雨が降り出してきた。二人の安全が心配される。男性チームで捜索隊を出すことにする。嫌がる佐藤も無理やり派遣隊に。


捜索は雨に祟られて難航する。。捜索隊の中心にいるのは勇希。しっかりと指揮を執っている。男前の勇気ある弥生も捜索に加わる。一方遁走組。こちらは道に迷ってしまう

この二グループが、入れ替わり、立ち替わり、舞台に登場。後ろにはベッドがあるけれど、実際には山の中という設定。またもう一つの女性軍チームも二つと交互に登場する。

勇希と臼井の会話から、臼井の余命が僅かだとわかる。妻を亡くすまで家族を放っぽり出してきた罪滅ぼしと、アルピニストである自分の姿を見せたくて娘たちをここに連れてきたのだ。冬音は父の死を受け入れられず、逃げ出したのだった。

捜索の過程で、それぞれの人物がなぜヒマラヤにやってきたのかが、一つ一つ明らかになってゆく。それぞれ、亡くした人の思い出を確認するためにやってきたのだと。一人だけ違ったのは財閥の御曹司だとわかった佐藤。

すったもんだの末、やっと遁走中の二人に追いつく一行。北大路は悪びれもせず臼井に食ってかかる。どうも児童虐待の被害者だった過去があるよう。彼はそのまま行くという。後の人間は冬音を連れて山小屋に帰ってくる。そこで臼井の事情が明らかになる。しんみりとする一同。

一つ決定的に変わったのは、連体感が生まれたこと。それぞれの心の闇への理解と共感が生まれたこと。そして、過去に区切りをつけ、未来へと歩き出す決意ができたこと。それがもっともよく表れていたのが勇希。幼い頃に友達が溺れているのを助けられなかったという罪悪感に覆われて生きてきていた。彼がまるで独り言のように話をしている相手こそその亡くなった友、健太(高松一誠)だったのだ。健太は勇希を解放すると言って、「去って行く」。これで彼も前に進める。みんなが去った後、女将にアルバイトとして残るという勇希。

私が見てきた小劇場系の芝居の中では、かなりベタな部類。でも違和感も陳腐感もなかった。しんみりと感動した。なぜかと考えたら、一見突飛に見えるそれぞれの人物、深刻な悩みを抱えている割には日常の中に収まっているから。だからベタなテーマであっても、違和感が生まれにくい。日常性を際立たせて演じれる優れた役者がいたからでもあるだろう。これは大仰な芝居よりはるかに難しい演技を要請される。お隣にいるような普通の人、ちょっと変わってはいるけれどそれも普通の許容範囲幅。普通感が溢れていた。大仰なテーマではない。それこそ形は違えども私たちが抱えている問題を表象しているかのような、ごく普通の登場人物。悩みはそれこそ人の数だけあるだろう。でもそれがそれぞれ微妙に違っている。ずれている。そのズレは永久にずれたまま。妥協し、理解するなんてのは幻想。「それでもいいじゃない」というのが登場した人物たち。(それぞれ悩みを抱えているであろう)観客も、ここに受け入れられたという感じがする。理解なんてされなくてもいいんだと。そんなの不可能だから。それでも赦されたという感じが持てる。

ほんわかとした気分になれた。